2021年10月1日に音楽の女神降臨!
黒糖焼酎界に新生が誕生!
2021年10月1日、密かに、新たな社長の就任式が行われた。
その就任式とは、「西平酒造」の新しい社長に就任することになった、西平酒造の4代目、「西平せれな」社長の就任式である。
何と、西平酒造では、蔵人の全員がミュージシャン。
そして、その就任とともに、You tubeに「A NEW JOURNEY」という、新しい動画がアップされた。
西平酒造を語るには、音楽無しでは語れない。
この記事内にも、西平酒造の蔵人たちが演奏するYou tube動画へのリンクをふんだんに貼り付けていこうと思う。
どうかこれをお読みの読者さまは、彼女たちの奏でる音楽の鼓動を感じてほしい。
その音楽の奥には、奄美大島の人々の特徴である、お酒と音楽をこよなく愛する島人たちの魂が根付いているのだ。
そして、酒蔵内で演奏される、名曲の数々。
この蔵元の特徴として、音楽と女性社長という特徴以外に、もう一つ、とても若者向けの嬉しい特徴がある。
それは、You tube動画などの撮影に、360度カメラや、ドローンでの撮影など、視覚的に面白い動画などが、ふんだんに使われている点だ。
西平酒造の魅力について、黒糖焼酎だけを見ているだけだと、この酒蔵の特徴の半分も理解できないのである。
さあ皆さん、感じよう、目と耳と、そして、リズム、音楽。
この記事では、視覚的にも、聴覚的にもできるだけ、「西平酒造」の魅力を伝えていきたいので、You tube動画へのリンクをたくさん貼り付けるようと思う。
では早速であるが、冒頭でもご紹介した、「A NEW JOURNEY」のドローン撮影の見事な動画を早速見に行ってみよう!
あと、くれぐれも、行ったっきりではなく、この記事に戻ってきてほしい。
では、以下より動画を見てみよう。
奄美大島最大の中心地で近代的小都市である「名瀬」
奄美大島の中心地で近代的小都市といえば、「名瀬」である。
奄美大島では、名瀬は都会で、それ以外は田舎ということになり、この、近代的小都市に、西平酒造がある。
もしこれをお読みの読者様が、奄美大島に行くことがあれば、必ず訪れることになるであろう場所が名瀬である。
名瀬には、多くの観光スポットがあるが、何といっても、生活に必要なライフラインがすべて揃っているので、奄美大島に移住しようと思ったときに、必ずお世話になる街である。
ここ名瀬には、イオンをはじめとする大型ショッピングモールや、ミスタードーナツなどのファーストフード店などがあり、昼は買い物、夜は飲み屋街と、奄美大島で最もにぎやかな街だ。
ここではせっかくなので、名瀬の観光スポットをいくつかご紹介しておこう。
皆さんも、奄美大島に来た際には、名瀬の観光スポットと、西平酒造の工場見学に行くことをオススメする。
奄美観光ハブセンター
奄美観光ハブセンターでは、毒蛇ハブとマングースのショーをビデオ放映している。
ここでは、ハブの生態を学ぶことができ、ハブに咬まれない知識を身に着けることができる。
ここで、特筆すべきは、確かに奄美大島にはハブが生息しているのだが、普通の生活をしている限り、ハブに出会うことは、まず無いということである。
もし、本物の野生のハブを見たいときは、ハブの観光ツアーの案内人に、野生のハブのいる場所に連れて行ってもらう必要がある。
ハブに出会えないという、このようなオチは、奄美観光ハブセンターでは拾うことができないので、敢えてここで記載しておくことにする。
奄美博物館
やはり、奄美大島の名瀬に来たときは、必ず行くべき場所が、奄美博物館である。
ここでは、奄美特有の文化や歴史、奄美の自然状況などについて、模型や道具などの豊富な資料を展示している。
奄美博物館は、3階建の建物で3階から順に奄美の歴史、自然を判り易く展示解説されている。
館内に入ると、迫力満点の船がお出迎えしてくれる。
さらに、博物館の展示内容は見るだけでなく、実際に触れて体験することができたり、展示の内容によっては、SNS映えするものもある。
とにかく、学べて楽しめる博物館である。
マングローブ原生林をマングローブカヌーで散策する旅
マングローブ原生林自体は、名瀬にはないが、奄美市の南西部にあり、名瀬からツアー送迎してもらえたり、奄美空港からも送迎が出ている。
奄美大島といえば、亜熱帯気候が特徴で、ここでしか見られない生態系などがあるので、このような体験はとても貴重な体験となる。
とにかく、カヌーをコーチしてくれる人の対応が良く、原生林の動植物なども詳しく解説してくれるため、自然を楽しむのと同時に、ガイドさんの親切な対応が、とても有難い体験ツアーとなっている。
カナ ド ニシヒラ(KANA du NISHIHIRA)
「カナ ド ニシヒラ(KANA du NISHIHIRA)」は西平酒造のアンテナショップとなっている。
奄美大島一の飲み屋街といえば、「屋仁川通り」で、ここは別名「やんご」と呼ばれている。
「カナ ド ニシヒラ」は、奄美市名瀬末広町の中央通りの商店街の中にあり、「やんご」ではない。
アンテナショップとは、企業の製品を広く紹介したり、消費者の反応を探ったりする目的で開設する店舗のこと。
基本的に、「カナ ド ニシヒラ」は焼酎バーで立ち飲みがメイン。
せっかくなので、外飲みの醍醐味といえば、少量の高級酒を少しだけ贅沢にいただきたいものだ。
ここに来たときは、西平酒造で一番高価酒である、「10年貯蔵古酒 加那伝説 凛(リン)41度」を飲んでみよう。
焼酎、とくに、黒糖焼酎は、寝かせれば寝かせるほどに、コクと深みとまろやかさがでる。
名瀬について、紹介していくとキリがないので、他の蔵元でのご紹介の際に、別の名瀬をご紹介いていく予定なので、楽しみにしていただきたいと思う。
西平酒造の歴史について
ここで、西平酒造のこれまでの生い立ちについて、述べて行こうと思う。
※ 本内容については、かなりの内容を、「あまみの甘み あまみの香り」鯨本あつこ・石原みどり 著から引用しています。
西平酒造の創業は、昭和2(1927)年、沖縄出身の西平守俊(にしひら・もりとし)氏が、奄美諸島の喜界島(きかいじま)で創業した。
創業当時の杜氏は、守俊氏の妻のトミ氏が杜氏を務め、泡盛の酒造場として事業を開始した。
第二次世界大戦の太平洋戦争のさなか、空襲で蔵が焼け、終戦の翌年に、奄美大島の現在地である名瀬に蔵を移転し、現在に至る。
敗戦後、奄美諸島はアメリカ軍政下におかれ、日本本土との物資流通が途絶えることになった。
守俊氏は、昭和27(1952)年に、「巴麦酒株式会社」を設立し、島民が求めるビールやサイダー、乳酸飲料などの嗜好品製造も一時手掛けることとなる。
同社の「トモエビール」は、奄美諸島の日本復帰後、数年で姿を消したため、幻の地ビールと言われることになった。
現在の社長である、西平せれな氏の父である、西平功(にしひら・いさお)氏が社長を務めていたときに、突然、3人兄弟の長女である、西平せれな氏が東京から奄美大島に戻って、蔵を継ぐと言い出した。
なんでも話によると、西平せれな氏の父である功社長は、3人の子供たちに、蔵を継ぐようには、全く何も言わない人だったようで、その父の心中を察したのが、長女の西平せれな氏だったということである。
実は、西平せれな氏の兄弟は、長女のせれな氏の他は、弟が2人の3人兄弟で、男性である弟ではなく、長女のせれな氏が、無言のまま何も言わない父に対し、自分が蔵を継ぐと、申し出たそうだ。
西平せれな氏は、島を出て、東京でミュージシャンとして、9年間、活動を続けてきたが、2014年末に、奄美大島に帰郷した。
シンガーソングライターとして活動を続けてきた、西平せれな氏は、父である功氏に、ミュージシャンを辞めると進言したそうであるが、功氏は、焼酎造りとミュージシャンとしての活動の両方を続けるように、せれな氏に言ったとのだという。
実は、功氏も大の音楽好きで、須藤賢一氏とバンドを組んでいたという過去があり、功氏は、バンド内でボーカルを担当していたという。
そして、娘のせれな氏も、自身で作詞作曲をこなす、歌姫である。
こんなふうに、西平酒造は特に音楽愛の強い絆で結ばれており、奄美大島の特徴である、酒と音楽をこよなく愛するという、奄美大島らしさが強く色濃く反映された蔵元となっている。
そして、2021年10月1日に、代表を父である功氏からせれな氏に交代となり、西平酒造4代目の代表に、西平せれな氏が就任した。
西平せれな氏は、黒糖焼酎蔵元の中でも、2022年12月時点で、最も新しく就任した代表となった。
西平せれな社長の苦悩について
実は、西平せれな社長が、奄美大島に戻った2014年末、西平酒造は、経営難に陥っていた。
そして、実家の窮地に、いてもたってもいられなくなり、ついに、せれな氏は帰郷を決意。
回りの音楽仲間にしてみたら、寝耳に水の話しで、突然、せれな氏が、「島に帰る!」と言い出したので、慌てて送別会をしたのだという。
そして、音楽仲間に見送られながら、せれな氏は島に帰っていった。
しかし、せれな氏に待ち受けていたのは、試練の連続だったのである。
ここで、西平せれな社長といえば、ググったら簡単に検索に引っかかることだと思う。
せれな社長は、明らかに年齢より若く見える、容姿端麗というよりかは、どちらかと言えば、可愛くて、愛くるしい、なかなかの美人である。
そんな、若くて可愛らしい女の子が、蔵に入ったことで、蔵元の雰囲気が明るくなるものと思ったら、案外、現実は厳しいものだったという。
蔵元の中で、孤立状態、いわば、独りぼっちの状態になった、せれな氏。
2014年末に蔵元に戻って以来、事務、営業、製造の一通りの仕事をこなした、せれな氏は、平成27(2015)年9月から、本格的な酒造りに携わることになった。
そのときのことを、せれな氏は次のように述べている。
「独りぼっちでした。」
やがて、父親で社長の功氏の、音楽仲間であり、酒蔵の経験豊富な、森秀樹(もり・ひでき)さんが杜氏になり、西平せれな氏の教育係となった。
このとき、森杜氏は、「自分の役割は、せれなちゃんを育てることです!」と、しっかりと任された任務を期待以上に遂行していただいたようだ。
やがて、西平せれな氏は、2017年1月に杜氏に就任する。
せれな社長は当時の苦悩を次のように語った。
「私がこれまでの西平酒造の歴史の味を引き継ぐのは無理だと思ったんです。
それで、杜氏として、どのような味を再現すべきなのか、随分と悩みました。
しかし、回りの音楽仲間たちが、私に、自分の味を表現すればいいんだと、慰めてくれたんです。
そうしたら、自分の中で、吹っ切れました。」
せれな社長は、これまでの西平酒造の蔵元の味を再現するのではなく、自分が表現したい味に変更することを決意した。
そして、これまでの蔵元の代表である、「珊瑚(さんご)」の味わいは、それまでの辛くて無骨な男性の味から、すっきりと優しい味わいに生まれ変わった。
ここで、余談になるが、イノウエは、昔の無骨な男性の味わいの時代の「珊瑚」の味を知らない。
しかし、イノウエ的にも、実は、飲まなくても、せれな社長が造った今の「珊瑚」の味の方を好むであろおうと思う。
きっと、昔の「珊瑚」は、あらゆる油料理にも万能に対応でき、酒感の強い、パンチの効いた味わいだったに違いない。
しかし、イノウエの好みは、何杯もおかわりができ、夜中に飲んでも飲みやすい、常圧蒸留の優しい味わいの焼酎である。
だから、イノウエ的にも、せれな社長が造った「珊瑚」の味が好みの味わいであるのだ。
せれな氏が造る「珊瑚」の味は、これから益々、進化を遂げるに違いない。
それはさておき、ここで重要なのは、この蔵元の人間関係は、すべて音楽という媒体によって形成されてきたという点である。
世の音楽好きの諸君!!
もしあなたが、酒と音楽を愛する人であるならば、西平酒造を知るべきである。
現在の西平酒造は、蔵人たち全員が、ミュージシャンなのだ。
今はせれな氏以外は、そんなに知られていないかもしれないが、この蔵元には、魅力的な蔵人たちばかりで構成されている、とても面白い蔵元なのだ。
音楽の話については、これからの記事で紹介していこうと思う。
樫樽倉庫がコンサート会場に!
西平酒造では、樫樽倉庫がコンサート会場になる。
実は、この蔵元内のコンサート会場への使い方は、せれな社長の前の、功社長の時代にも行われていたことなのだ。
しかし、今の西平酒造のメンバーは、功社長の時代に比べ、蔵人がほぼ総交代の状態になり、メンバーの若返りと、新しいミュージシャンの集まりとなった。
この、西平酒造の蔵人たちの中では、西平せれな社長以外にも、プロのミュージシャンとして東京で活躍していた人や、ジャズの歌い手など、本格的に音楽活動を行ってきた人たちばかりである。
早速であるが、その音楽活動の一旦である、「[VR360] 蔵人で演奏してみた@酒蔵 – YouTube」を見にいってみよう。
蔵人で演奏する様子をVR360で収録。
曲は奄美の民謡、島唄の「いきゅんにゃ加那」をアレンジした「KANA-amamian love song-」
西平酒造 音楽部
歌:西平せれな (代表取締役/杜氏)
ギター:盛 保道 (音楽部部長)
ベース:川口 裕也 (技術責任者)
ベース:西平 匠斗 (ソニックエイジング室長)
コーラス:川元 美穂 (事務長)
こんな風に、西平酒造では、昔から焼酎に音楽を聞かせ、ミュージシャンが美味しく飲める味わいになるように、樫樽倉庫で焼酎に音楽を聞かせ続けてきたという。
2021年8月26日に「JSP UTAGE」がオープン!
「JSP UTAGE」とは、JSPが開催する、「UTAGE」イベントのこと。
一般社団法人 J.S.P(ジャパン・サケ・ショウチュウ・プラットフォーム)は、全国39の蔵元が集まって、日本酒や焼酎といった、日本の酒を盛り上げていこうという目的で設立された団体である。
このJSPにより、2021年8月26日より、JSPのHP(ホームページ)やYou tube「UTAGE」チャンネルで、毎週一つの蔵元に焦点を絞り、約1時間の蔵元紹介のパフォーマンスが行われることとなった。
この「UTAGE」チャンネルで、2022年8月4日に、「西平酒造」が紹介されることになった。
この動画は、約60分の長い動画となっているが、西平酒造の特徴である、音楽はもちろん、奄美大島の酒販店である、「酒屋まえかわ」の店員(店主のご子息)である、前川健吾(まえかわ・けんご)氏他、西平酒造関係者たちが出演している。
出演者
司会:西平せれな(西平酒造代表取締役)
以下、スペシャルゲスト
Joun Manolito Cautu(ジョン・マノリトゥ・カントゥ)(黒糖焼酎スペシャリスト)
前川健吾(まえかわ・けんご)(酒屋まえかわ)
朝光介(あさ・こうすけ)(フロム・カサリンチュ)
盛保道(もり・やすみち)(西平酒造音楽部部長)
くれぐれも、長い動画(60分)であるので、その動画を見たら戻ってこれなくなる可能性もあるが、西平酒造の魅力や黒糖焼酎の魅力をたっぷりと紹介している動画になっている。
では早速であるが、以下が、「UTAGE」チャンネルで紹介された、西平酒造の紹介動画になっている。
西平酒造以外にも、「UTAGE」チャンネルでは、日本の酒蔵元を紹介しているので、お酒好きは、このチャンネルをチェックするのもいいだろう。
インタビューに応じていただいた人たち
ここからは、今回の西平酒造に対する取材において、インタビューに応じていただいた方々をご紹介させていただこうかと思う。
西平せれな (代表取締役/杜氏)
まずはじめに、この蔵元の代表取締役である、西平せれな社長である。
西平せれな社長については、You tubeなどで知っている人も多いのではないかと思う。
実は、イノウエがツイッターで、西平せれな氏が社長に就任する前の、杜氏の時代に、イノウエが勝手にこの方の記事をツイートしたことがあった。
その後、この方の親戚筋で、茨城県にある、人気レストラン「レストラン中台」の女将さまより、DMをいただいたことがある。
このとき、レストラン中台の女将は、イノウエが、西平せれな杜氏と接触をしているものと思っていたらしく(イノウエが勝手にツイートネタに使ったので、イノウエが悪いのであるが)西平せれな杜氏に対する熱い思いのDMがいきなり飛んできたのである。
「こんにちは、西平せれなのツイートを見て、いてもたってもいられなくなり、DMさせていただきました。
自分はせれなの叔母にあたる者なのですが、姪っ子である、せれなは、可愛くて可愛くて、仕方ありません。
せれなは本当に素直で優しくて、すごくいい子なんです!
蔵の跡継ぎも、自分が請け負ってくれて、この子には、感謝しかありません。
せれなのことを、どうか、本当に今後とも、よろしくお願いいたします!」
この後、せれな社長の叔母には、イノウエとせれな社長との接点が無いことを素直に伝え、「なーんだ、そうだったんですか。」といったような、がっかり返信もいただいた。
それはともかく、この、せれな社長の叔母の言葉を聞いて、心を打たれない人はいないのではないか。
親戚とはいえ、人に愛される人は、愛されるだけの理由があってのことだ。
この内容を記載しようかどうか迷ったのであるが、これを読んだ読者さまの中で、心ある人であれば、西平せれな社長が、どういう人であるか、これ以上の説明は必要ないのではないだろうか?
これからも、西平せれな社長とともに、西平酒造のことを、皆で応援しようではないか!
川元 美穂 (事務長)
今回、西平酒造さまへ、インタビューの申し出を、オンラインで申し込んだところ、返信をいただいたのが、西平酒造の事務長を務める、川元美穂(かわもと・みほ)氏である。
イノウエが心を打たれたのは、イノウエが、インタビューを申し出た次の日の朝10時か11時くらいに、川元氏の返信をいただいたという点である。
なんでも、イノウエのブログを見て、感動したと、言葉にしていただいたという点だ。
この時点で、イノウエは、今後、この蔵元さまに、どのような態度をとられたとしても、安心してやり取りすることができたのである。
川元氏は、とても丁寧な電話対応をしていただける、まさに、事務長の名にふさわしい人であるといった感じである。
しかしその後、この川元氏が、ミュージシャンであり、ジャズの歌い手であるということが想像すらできなかったのである。
まったく、西平酒造は、半端なく、本当にミュージシャンの蔵元だったのだ。
川元氏は、楽器こそ演奏できないとのことであるが、歌い手としての川元氏は、西平せれな社長をもってしてもすごい!とのことである。
西平社長との歌のハーモニーも、川元氏の絶妙な二重奏の完成度は、プロそのものである。
イノウエはジャズの知識が無く、川元氏の、ソロを聴いたことは無いが、これは、聴かずにはいられないような思いではある。
西平酒造を訪問したときは、川元氏のジャズの歌声を、聴かせてもらえるように、お願いしてみようと思う。
盛 保道 (音楽部部長)
今回の取材に応じていただいた、もう一人の方が、盛保道(もり・やすみち)氏である。
盛氏は、一見したところ、いつもニコニコしていて、とても好感が持てる人で、言葉数はそんなに多くないように思うのであるが、好印象でしか無いような方であった。
盛氏、聞けば、ギターを、中学生の頃から練習し始めた、ギターの達人であり、西平酒造に入る前までは、東京で、プロのギターリストとして活躍していた経歴を持っている。
イノウエは、盛氏に対しては、ギターと聞いた瞬間に、ドリカムの、中村正人さんの印象を強く持った。
ドリカムの中村さんは、ギターを演奏する際、客席の方を向いて、ニコニコしながら演奏するのであるが、この、盛氏のギターパフォーマンスも、まさに、ドリカムの中村さんのパフォーマンスと同じなのである。
盛氏は、「USP UTAGE」の時は、少し、ロングヘアーっぽいような髪型をしていたので、結構オシャレで、音楽とファッションのセンスを感じ、モテ男の印象を感じた。
盛氏は彫が深いような顔つきをして、スラっとしているので、イノウエは把握していないが、盛氏のYou tubeチャンネルがあったら、十分にリスナーが付いてくるのではないだろうか。
この記事内でも、「USP UTAGE」の動画で、盛氏が特別ゲストとして登場している。
盛氏は東京のミュージシャン時代には、いくつものバンドのギターリストを掛け持ちで、こなしていたという。
これをお読みの読者さまで、奄美に移住したい人の中で、ギターを学びたいと思った人がいたとしたら、盛氏にお願いするのがいいと思う。
盛氏のギターの腕前は、本物という表現は失礼に値する、いわば、正真正銘のプロである。
西平酒造の造りのこだわり
西平酒造での黒糖焼酎の造りのこだわりについて、解説していこうと思う。
西平酒造では、昔ながらの製法にこだわり、丁寧に少人数による手作業で丁寧に行われている。
昔ながらの製法を忠実に守りながら、味わいについては、進化を遂げている、新旧の製法や味わいを追及し続けている蔵元である。
西平酒造では、蔵を流れる豊富な地下水、国産の米を原料に、米麹造りは、伝統的な甕仕込み(かめしこみ)を行っている。
西平酒造のこだわりの製法の一つである、かめ仕込みは、この蔵元自慢の“ベッド”となってるカメが特徴である。
米麹に酵母を加え、焼酎の元となる酒母を作る作業(一次仕込み)の際に伝統的なカメ仕込みを行う。
その器(カメ)が地下に埋まっているのでシビアな温度管理が可能になるとのこと。
カメで五日間寝かせた米麹を、タンクに移し、米麹と黒糖を合わせることでモロミになる。
この工程がいわゆる二次仕込みになる。
この時のぷくぷくとした、麹から泡立つ反応はとても神秘的なもので、その様子を一度観察し始めると、目が離せなくなるのだという。
そして、約2週間寝かせたモロミを巨大鍋に移し、グツグツと煮立たせることでアルコールを抽出する作業である、蒸留行程に入る。
西平酒造では常圧蒸留で蒸留を行っていて、この常圧蒸留製法は、原料の旨味をそのまま反映しやすい蒸留法で、昔ながらの蒸留法となっている。
この蒸留の行程は、焼酎の味を決める最も重要な作業なので、約6時間つきっきりで見守るとのこと。
西平酒造では、麹造りから、蒸留の行程まで、すべて手作業で行われ、人間の経験と勘で、焼酎の味をコントロールしている。
機械で行っている蔵元もある作業を、敢えて手作業で行うことにより、焼酎の、例えば、麹に話しかけるなどの、丁寧な作業を行うことができ、その分、焼酎に繊細な味を表現することが可能になる。
これだけ人の手のかかった商品のことを考えると、市場で販売されている商品の価格がいかに安価で販売されているのかがわかるのであろう。
どのようなものでもそうなのであるが、美味しいと感じるための物造りというのは、いちいち手のかかる作業が必要になるのである。
西平酒造の具体的な製品をご紹介
ここでは、西平酒造が製造する、代表的な黒糖焼酎の銘柄のうち、いつくかの銘柄について、紹介していこうと思う。
「珊瑚」
度数:30度
蒸留方式:常圧蒸留
「珊瑚」は、西平酒造の代表銘柄で、原酒をタンクで一年貯蔵して商品化されている、オーソドックスな商品である。
「珊瑚」に関する説明については、前にも記載しているので、ここでは簡単に述べさせていただこうと思う。
イノウエは、「珊瑚」は、奄美大島のサンゴ礁から引用したことをある程度把握しているつもりであるが、このお酒、本当に、「珊瑚」、いや、サンゴ礁の香りがするのである。
「珊瑚」には、不思議な海の香りのような香りがするのであるが、この香りというのは、常圧蒸留で製造された、黒糖の香りでもある。
そして、特筆すべきは、「珊瑚」は、日本一、梅酒造りに最適な焼酎だということ。
なぜ日本一というかというと、「珊瑚」の他に、梅酒造りに最適な焼酎を詩っている焼酎が他に無いからなのである。
しかし、梅酒もいいが、「珊瑚」はぜひ、黒糖焼酎として味わってもらいたい。
このお酒、常圧蒸留でありながら、とても飲みやすく、それでいて、減圧蒸留よりもコクが深い。
このお酒はロックや水割りで飲むと、黒糖の味わいがしっかりと、それでいて、優しく感じられる。
黒糖焼酎の中でも、昔ながらの常圧蒸留製法ならではの味わいが、製造工程がすべて手作業なので、再現されているのである。
新しい杜氏、新しい社長による、伝統的な黒糖焼酎の味わいを、これまでの蔵元の、伝統的な味わいとは違った味わいで表現した一品である。
以下より黒糖焼酎「珊瑚」の購入サイトへのリンクに移動する。↓
珊瑚30度1800ml(アマゾン)
「加那(かな)」
度数:30度
蒸留方式:常圧蒸留
「加那(かな)」は、焼酎の原酒をタンクと樫樽で、2年熟成させた樽熟成の焼酎となっている。
「加那」は、西平酒造の代表銘柄では無いものの、いわば、「珊瑚」と並ぶ、代表銘柄のような黒糖焼酎である。
「加那」の飲み口の特徴としては、ワイルドビターな感触がある樽のビター感が特徴。
しかし、その樽のビターは、ロックから比べると、水、お湯、炭酸、レモンサワーにすると、濃度によって、樽の味わいが大きく変わる。
イノウエが発見した「加那」の飲み方に、家庭用の氷で飲む水割りがある。
以下に手順を簡単に解説する。
・グラスに家庭用の氷を注ぐ。
・「加那」を七~八分目まで入れる。
・残りに、水を入れて、アルコール度数の濃い水割りを作る。
・自分のペースで飲むと最初は、樽のビターが感じられるが、徐々に、氷が解けて、水の割合が多くなるに従って、ビターが徐々に薄まって、ほど良いチョコレートのような味わいになっていく。
・コップの焼酎が無くなったら、また、ビター感の強めの甘い焼酎を飲む。
・上述の、無限ループで、「加那」の味の変化を無限に楽しむ。
こんなふうに、「加那」の味の変化は、他の焼酎には無い、水割りの濃度による、味の変化が楽しめる焼酎となっている。
ここで焼酎など、いや、それ以外の食材でも、「味の変化」が、例えば、品評会などの、評価基準になることなんて、あり得ないことが特徴なのだ。
だからこそ、このお酒の、味の変化が感じられる感覚は、どの記事にも記載されてない内容なのである。
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西平酒造 加那 黒糖焼酎 1800ml(アマゾン)
黒糖焼酎 加那 かな 30度/1800ml 奄美大島(楽天)
「加那伝説 凛(りん)」
度数:41度
蒸留方式:常圧蒸留
このお酒は、西平酒造の中で、最も高級品として販売されている、究極の一品である。
「凛」は、樽で10年熟成させた古酒で、「カナ ド ニシヒラ」で、ご紹介させていただいた。
その味わいは、飲んだ瞬間にインパクトのようなものを感じさせず、飲めば飲むほど、味わいがしっくりくるという一品になっている。
実は、黒糖焼酎は、寝かせれば寝かせるほど、味わいは芳醇でまろやかになり、古酒であればあるほど、飲みやすく、味わい深いものになる。
一見したところ、驚くようなインパクトを感じないかもしれないが、飲めば飲むほど、このお酒に対する愛着が増してくるという一品。
少々高額ではあるが、記念日などに味わってみては、いかがかと思う。
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西平酒造 加那伝説 凜 10年貯蔵 古酒 桐箱入り 黒糖焼酎 41度 720ml(アマゾン)
加那伝説 凛 りん 41度/720ml 木箱入り 黒糖焼酎 奄美大島(楽天)
西平酒造は最先端と最古の両方を併せ持つ蔵元
ここまで、西平酒造について、ご紹介させいただいた。
西平酒造は、90年以上の歴史を持ちながら、2021年に、西平せれな社長という、若くて美しい女性社長の就任により、伝統的な黒糖焼酎の製法の中に、新しい新時代が求める味への挑戦をし続けている。
西平酒造は、95年以上の歴史があり、昔ながらの常圧蒸留で3段仕込みという製法を守り続けて現在に至る。
しかし、西平酒造の発信内容は、You tube、Facebook、Instagramなどはもちろん、360°カメラやドローンといった最新の技術をふんだんに取り入れた発信を行っている。
このことは、世界に向けてのアピール力があることを意味し、今後の伸びしろが最も大きいことが期待できる蔵元となっている。
これをお読みの人たちの中で、音楽好きであれば、それだけで、西平酒造を好きになってもよい理由だと言える。
あなたも、音楽を聴きながら、美味しい黒糖焼酎を飲み、奄美の自然や街並みを体験してみようではないか。
イノウエは、美味しい「珊瑚」を飲みながら、西平せれな社長の美しい歌声に酔いしれていた。
今日も、「珊瑚」が最高だ!
今回の記事は以上になります。
ここまで読み進めていただき、ありがとうございました。