SATOAKE Spiritsで会場全体を奄美に!
「皆さん、今日は、皆さんに、奄美を感じていただきたいという思いで、会場全体を奄美にしました。」
「乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
「パチパチパチパチ!」
これは、ホテルで行われた、「町田酒造」の焼酎イベントの様子である。
このイベントでは、歌あり酒あり料理ありと、お客さまに、どっぷりと奄美に浸ってもらいながらのおもてなしが行われている。
町田酒造には、「SATOAKE Spirits」という、全力でおもてなしをする、人とのつながりを大切にするという、接待魂がある。
会場内は大盛り上がりで、「町田酒造」の代表銘柄である、黒糖焼酎「里の曙」が、人と人とを良い意味で繋いでいる。
会場内を行き来する人の群れ。
グラスを片手に、「乾杯」の合図で心をつなげ合う人々。
そして、そのグラスの中には、「里の曙」がいつも入って、美味しい料理をさらに美味しくする。
そして、奄美には、酒と音楽をこよなく愛する人たちがいる。
奄美の歌は、グィンという、独特の「こぶし」があり、沖縄でもなく、本土でもなく、奄美にしかない、文化と心があるのだ。
奄美の島唄は、お互いの掛け合いで歌っていくのが特徴で、こうして、美味しい料理と美味しいお酒を飲んで、歌と踊りで、みんなが一つの家族のようになっていく。
この日も、大勢の人たちが、一つの家族のようになり、大勢の「里の曙」ファンが誕生した。
こうして、町田酒造は、「SATOAKE Spirits」という、おもてなし精神で、大勢の「里の曙」ファンを生み出し続けているのだ。
イノウエも、この、「SATOAKE Spirits」は大好きで、イノウエ自身も見習っていきたいと思っている。
そうだ、今後のイノウエの人生で苦しいことがあるたびに、「SATOAKE Spirits」を思い出してみることにしよう。
そうすれば、自分はいつも一人ではなく、心だけでも奄美の人と繋がることができ、そんなときに、「里の曙」があれば、明るい気持ちにきっとなれるに違いない。
これをお読みの読者さまも、ぜひ、この「SATOAKE Spirits」の精神で、明るい人生を目指していこうではないか!
美しい自然と世界三大織物である「大島紬」の代表柄「龍郷柄」発祥の町である「龍郷町」
奄美大島の龍郷町は、奄美大島の右上の方にある町で、沖縄本島と本土との中間的な位置にあり、鹿児島市から南西へ約380キロの奄美大島の北部にある。
龍郷町には、「町田酒造」のほか、「奄美大島酒造」、「山田酒造」と、3つの黒糖焼酎蔵元がある町で、蔵元が集中しているということは、それだけ焼酎造りに適した環境がある地域だと言える。
ところで、これをお読みの読者さまは、大島紬という織物をご存知であろうか?
大島紬とは、奄美大島で古くから造られてきた織物で、この織物を親子3代にわたって使用する着物として奄美大島では使用されてきた。
実は、大島紬とは、世界三大織物として数えられる、日本が誇る、世界にその名をとどろかせる、織物なのだ。
世界三大織物とは、フランスの「ゴブラン織」、イランの「ペルシャ絨毯」と日本の「大島紬」の3つの織物のことを言う。
「大島紬」が世界三大織物と言われるる理由は、次の理由による。
30以上もの工程を経て生み出されるこの生地は、1つ作り上げるのに半年から1年もの時間を要する。そしてその図柄は、美しい図柄、カラスの濡羽色にも例えられる深い艶、しなやかな肌触り、軽やかな着心地が魅力だ。
さらには、150年から200年着られる丈夫な織物と言われ、親子3代に渡って受け継がれるなど世代を超えて愛用されることも多い。
このような理由から、「大島紬」が世界三大織物と言われている。
ここ龍郷町では、このように誇り高き、「大島紬」の中でも、伝統的な銘柄である、「龍郷柄」と「秋名バラ」の発祥の地でもある。
だから、龍郷町は、美しい自然だけでなく、「大島紬」という歴史ある文化も存在する、魅力的な街でもある。
そんな龍郷町に近代的な設備で登場したのが、町田酒造である。
龍郷町は、奄美空港や名瀬新港、また、奄美最大の都市である名瀬にもアクセスが良く、とても交通の便的に、移住先として、オススメの地域でもある。
町田酒造へは、奄美空港や名瀬新港から、いずれも車で22分という好立地な場所に位置しているので、もし奄美空港に降り立ったときには、町田酒造の工場見学に行くことをオススメする。
奄美の人の素晴らしさを感じた瞬間
これは、町田酒造の代表取締役である、平島社長からお聞きした話である。
平島社長は、実は元福岡県民だったそうで、嫁の実家が奄美大島にあるということで、奄美大島に住むことになったということである。
平島社長が、奄美大島に住むようになってから感じた、島の良さというのに対し、イノウエもとても素晴らしいと感じたエピソードがあった。
それは、平島社長がコンビニなどに買い物に行った際に、町の人が、「こんにちは!」と挨拶をしてくれたというエピソード。
見ず知らずの人に対して、まるで前から知っている人かのように、普通に挨拶をするような文化にとて
も驚いたということなのである。
それから、奄美の地に住み始めてからも「今日飲むからおいで」と沢山の誘いをいただくようになった
。
奄美の人の温かさに触れるうちに、奄美は、島民全員が、家族のようだと感じるようになったのだとい
う。
それからというもの、平島社長は黒糖焼酎の魅力はその味や香りだけではなく、奄美の飲酒文化そのも
のにあると考えるようになったのだという。
イノウエの知っている田舎にも、いろいろな種類の田舎がある。
奄美大島全体が、田舎ではないが、名瀬の都心から離れると、自然の多い田舎が奄美大島のほとんどを占めている。
奄美大島の人口密度は、人口密度は642.9人/平方kmに対し、奄美大島の人口密度は84人/平方kmで、沖縄と比べてかなり少ないように思う。
田舎にも、閉鎖的で村の貧富差などで、いじめにあったりするような、田舎村がある。
奄美大島では、悪い噂がすぐに島内に行きわたってしまうので、悪いことをしようにもできない空気があるらしい。
さらに言うと、奄美大島には、良い人しかいない。
もっと言うと、奄美大島は、島全体が、大きな家族のような人との距離感が極めて近い、地域性がある島なのだ。
イノウエも何人かの奄美大島に移住した人の話を聞いたが、お人よしで人懐っこくて、世話好きな人が極めて多いのが奄美大島の島の人の特徴であるようだ。
この記事をお読みの読者さまも、都会の暮らしに精神を病んでしまっている人も多いのではないか。
お酒は体に毒だというが、イノウエはそうは思わない。
奄美大島に行けば、多くの人が、黒糖焼酎でおもてなしをしてくれるので、暖かい人の温もりを感じることがきっとできるのではないかと思う。
島に行こうか迷ったときは、行動してから考えようではないか。
数々の賞を総ナメ、「里の曙」はもはや伝説の焼酎に!
お酒というものは、賞を取るために作るのではなく、人に喜んでもらうために作られるべきものだと、賞そのものを気にするべきではない人も大勢いるのではないかと思う。
イノウエも賞自体をそんなに気にする方ではない。
とはいっても、高い評価を受けた証拠となるのが賞というもので、焼酎を知らない人でも、賞を取った焼酎なら飲んでみたいと思うのではないであろうか?
以下は、町田酒造が、黒糖焼酎「里の曙」で取った賞を並べてみた。
『里の曙 ゴールド』の国際コンペティション受賞歴について
2018年5月「ロサンゼルス国際スピリッツコンペティション」最高金賞
2019年3月「ベルリン国際スピリッツコンペティション」 銀賞
2020年7月「東京ウイスキー&スピリッツコンペティション」最高金賞
およびベストオブザベスト
2021年5月「東京ウイスキー&スピリッツコンペティション」最高金賞
これだけの賞を受賞したお酒となると、これは飲んでみないと気が済まないと思ってしまう人も多いのではないだろうか?
黒糖焼酎について、焼酎の中でのシェアは、わずか2~3%にすぎない。
このたった数%しかない黒糖焼酎が、ここ最近では、国際コンペティションの賞を総ナメにしているのだ。
そして、特に目覚ましい活躍を遂げているのが、黒糖焼酎「里の曙 ゴールド」43度である。
たかが賞、いやだけど、されど賞である。
こんなにもいろいろな賞を獲得するほどの「里の曙」がどういう焼酎なのか、気になる人も多いのではないだろうか?
これをお読みの読者さま、どうか安心してほしい。
このあと、黒糖焼酎「里の曙」がなぜ、さまざまな賞を総ナメにするのかについて、この記事内で、詳しく解説していくので、どうかこのまま記事を読み進めていただきたい。
町田酒造の歴史について
ここからは、町田酒造株式会社の歴史について、述べて行こうと思う。
※ここからの内容についは、鯨本あつこ、石原みどり著の「あまみの甘み あまみの香り」を参照して、記載しています。
町田酒造の創業者は、沖永良部島出身で、建設業を営んでいた町田實孝(まちだ・さねたか)氏によるもの。
實孝氏が酒造会社を創業した背景には、奄美諸島でしか造ることのできない黒糖焼酎を全国に販売し、奄美の地域を活性化委させたいとの思いがあったのだという。
町田酒造の蔵元の前身は、戦前から旧住用村(すみようそん)の石原(いしはら)で銘柄「住の江(すみのえ)」を製造していた、有限会社石原酒造が蔵元の背景となっている。
石原酒造では、焼酎の造り手が高齢化し、後継者のいなかった石原酒造より、昭和58(1983)年に、酒類製造免許を譲り受け、平成3(1991)年に、社名を町田酒造に変更。
町田酒造はもともと、異業種からの焼酎業界への参入だったこともあり、元鹿児島大学院で、「悪臭を除き、世界に通用する焼酎」を研究していた蟹江松雄(かにえ・まつお)氏の協力を得て、近代的な焼酎製造法を研究し始めた。
そして、町田酒造は、平成元(1989)年龍郷町大勝(おおがち)の現在地に最新の設備を備えた新工場を設立し、翌年の1990年より焼酎製造を開始するに至る。
2016年に、中村安久氏が代表取締役を務め、2020年6月より、平島将氏が代表取締を務めることになった。
町田建設をはじめとするグループ会社で操業して以来、30年以上の歴史を持つ、伝統的な蔵元となっている。
しかし、町田酒造の創業は意外にも、奄美の黒糖焼酎の蔵元としては、後発組の黒糖焼酎蔵元となっている。
ここで、黒糖焼酎の歴史について述べさせていただくと、黒糖焼酎は、本土ではあまり馴染みが薄いかもしれないが、奄美諸島では、100年以上の歴史を持つ、いわばソールフードである。
これをお読みの読者さまは、是非とも歴史深い黒糖焼酎を飲んでいただきたい。
インタビューに応じていただいた人たち
今回、イノウエの取材でインタビューに応じていただいた人について、記載していこうと思う。
代表取締役社長 平島 将(ひらしま・しょう)氏
まずはじめに、町田酒造の社長であられる、平島将氏が直々にインタビューに応じていただいた。
平島社長は、上述したとおり、もともとは福岡の人だということで、奄美大島に住むきっかけとなったのは、平島社長の妻が、奄美大島のご出身だということである。
平島社長は、奄美に住み始めてすぐに島が好きになり、奄美に対する地元意識が強くなったのだとおっ
しゃられた。
島の人々の温かさに触れて、島に貢献したいと考えるようになったのだという。
町田酒造では、海外販売にも力を入れていて、アメリカやヨーロッパなどにバイヤーを持ち、海外進出の足掛かりになっているのだという。
町田酒造が、輸出に力を入れるようになったきっかけは、アメリカに嫁がれた奄美のご出身の方とのご縁があってのことが、きっかけなんだとか。
なんでも、その方が日本に旦那さんと帰国された際に、たいそう「里の曙」を気に入り、その方から、アメリカで販売したいと、町田酒造の方に、申し出があったのだという。
そしてそのご夫妻と、アメリカでの販売について情熱的に語り合う内に、平島社長の方でも、海外のお酒の市場に本気で挑戦していきたいという気持ちが次第に芽生えていったのだそうだ。
不思議なもので、その方が、海外に力をいれると決めてからは、黒糖焼酎を現地で広めたいという熱い気持ちを持った別の方々から、平島社長の方に、次々にお声がけをいただいたそうだ。
こんなふうに、「里の曙」を好きになる人は、熱烈なファンになってくれるお客様が多いということなので、このあたり、平島社長の営業力の強さを大いに感じた。
平島社長は営業のご出身ということもあり、とても話がうまく、聞いていて、声のトーンから、とても安心感を感じながら話を聞くことができた。
製造課 永井 辰之(ながい・たつゆき)氏
次にインタビューに応じていただいた方は、製造課の永井辰之氏である。
永井さんは、もともと奄美のご出身ではあったが、奄美大島を出ることなく、奄美大島で就職したということである。
永井さんが入社したとき、ちょうど2000年の前半の時期で、焼酎ブームの真っ最中であったということである。
永井さんが入社したときは、とにかく、製造課は忙しいの極みであったということで、先輩たちに指示されたことを、ひたすら懸命に働きずくめの毎日を送っていたのだという。
やがて、焼酎ブームが終わったときに、あまりにも忙しい毎日を送ってきたことで、焼酎の知識が無い自分が、これではダメだという自覚を持ったということである。
永井さんは、それから、自身で黒糖焼酎のことを、勉強していくことになったということである。
永井さんは、ゆっくりとした口調で親しげに話していただける、とても接しやすい方だと思った。
イノウエのインタビューに対して、とても丁寧に答えていただき、また、いつでも連絡してもらって良いとった、とても有難いことをおっしゃっていただいた。
このように人との接点を大事に思ってくれるような人が現場にいると、とても心強いのではないだろうか。
永井さんのインタビューから、熱心に製品造りに取り組んでいる姿が想像できる。
永井さんの、とてもまっすぐな精神にイノウエは心を打たれたような気持になった。
営業統括課 橋本 大輝(はしもと・たいき)氏
次にインタビューに応じていただいた方は、海外販売担当の橋本大輝氏である。
橋本氏については、イノウエが町田酒造で初めて会話をさせていただいた方である。
橋本さんは、とても実直で、生真面目な印象で、信頼のおけそうな人柄であると感じた。
町田酒造への取材を許可する旨を連絡いただいたのが、橋本さんである。
橋本さんに、町田酒造の海外販売の実態をお聞きした。
平島社長に、アメリカ販売のことを聞いていたので、もう一つのメインの海外販売先である、マレーシア向けの内容について、お聞きした。
日本の海外向けのバイヤーさんからの熱心なアプローチにより、大型受注に結び付いたようである。
イノウエの印象的にも、マレーシア向けというのは、意外な販売先であったので、機会があれば、東南アジア向けの人からの反響なども、気になるところである。
また、橋本さんは、島外には、静岡県に5年ほど住んでいたとの話であるが、やはり、奄美大島の島の雰囲気が懐かしくなり、奄美大島に戻ることにしたのだという。
奄美大島では、黒糖焼酎が普通に飲める環境にあるので、そのような当たり前の雰囲気を、奄美大島に戻った時に、実感することができたのだと言う。
橋本さんの実直なお人柄が、信頼のおける印象をもたらしていただいた。
新型コロナによる打撃
平島社長にお伺いした、町田酒造の苦労の面について、特に、新型コロナによる打撃がかなり大きかったようである。
新型コロナの影響で、飲食店にお酒を置いてもらえなくなり、町田酒造の売り上げもガタ落ちとなったそうだ。
イノウエの会社でも、新型コロナ以来、会社での飲み会というものが、一切無くなってしまった。
また、外で飲むという機会も全くといっていいほど無くなってしまい、もっぱら宅飲みの毎日を送るようになった。
そんな新型コロナの影響を、町田酒造が受けないわけがない。
今では、少しずつ、売上も回復しつつあるという話ではあるが、忘年会や新年会などの飲み会が、未来永劫無くなってしまった会社なども多いのではないだろうか?
しかしそこは、SATOAKE Spiritsという、町田酒造の販売魂で、何とか売り上げを維持しながら頑張って焼酎を販売していっているようである。
イノウエの感覚では、お酒というのは、体に悪いものであるかもしれないが、人と人とをつなぐことができる、潤滑剤のようなものだと思っている。
人が生きていくからには、人と関わっていくしかないので、いかに人との関わりを良好なものにしていくのが、生きていく上で需要ではないだろうか?
そんなときに、「里の曙」があれば、人との関わりをとても良いものにしてもらえる。
だから、イノウエにとっても、お酒というものは、無くてはならない、必需品であると思っている。
お酒を飲まずに体の健康ばかりを気にするぐらいなら、体のことはあまり考えずに、良好な人付き合いを保つために、積極的にお酒を飲んだ方が、よほど精神的には薬となるのではないだろうか?
そして、できるなら、美味しいお酒であればあるほど、良好な人間関係構築に拍車をかけるというものだ。
だから、これをお読みの読者さまも、良好な人間関係を築きあげるために、「里の曙」を飲もうではないか。
町田酒造の造りのこだわり
町田酒造の黒糖焼酎の造りの特徴としては、黒糖の使用量が特に多いということと、減圧蒸留という蒸留技術を、奄美諸島で真っ先に導入した、最新設備の蔵元であるということがあげられる。
もちろん、町田酒造が最新設備を備えているからといって、作り手である従業員の人たちは、機械ではなく、人の心が焼酎の味に大きく影響するという、設備に頼らない人の思いというものも忘れてはいない。
町田酒造では、米と黒糖の比率を1対2.5という、黒糖をふんだんに使用して、黒糖焼酎を造っている。
やはり、黒糖を多く使った方が、それだけ黒糖の特徴が焼酎にも反映されることになるので、コストよりも味にとにかくこだわっているのだ。
そして、2017年より、黒糖焼酎造りには欠かせないサトウキビを、町田酒造の従業員の手によって栽培することを始めたとのこと。
これは、「キビを作らずして黒糖焼酎を語るなかれ」という、現在の杜氏である長谷場洋一郎氏の言葉だということである。
このように、黒糖焼酎の造り手である、町田酒造の従業員の全員が、サトウキビという素材を育て作ることで、黒糖を語るにふさわしい心を育んでいるのだそうだ。
そして、もう一つの大きな特徴として、減圧蒸留の設備を奄美諸島で最初に導入したのも、町田酒造であった。
町田酒造ができた当初では、黒糖焼酎というものは、ほとんどが男性だけが飲むようなものであったということである。
そして、女性にも、また、焼酎初心者にも親しみやすい、飲みやすい焼酎を目指すというコンセプトのもと、減圧蒸留機を用いた商品開発が行われた。
そして、「里の曙」が完成したという話である。
実は、「里の曙」は、まだ銘柄名も決まっていなかった平成元(1991)年に、熊本国税局の鑑評回会で優等賞を獲得するに至る。
町田酒造には、減圧蒸留機以外にも、もちろん、常圧蒸留機もあり、銘柄によって、減圧蒸留と常圧蒸留を使い分けて製造している。
町田酒造の代表銘柄である「里の曙」は、他にも、3年貯蔵という熟成期間を経て、商品化されている。
焼酎は、熟成期間を多くすることで、味わいが深く、まろやかになるという特徴がある。
熟成期間が3年以上というのは、とても長い熟成期間だと思う。
こんなふうに、町田酒造の黒糖焼酎に対するこだわりは、味に関して、決して妥協を許さない精神で焼酎造りに励んでいる。
従業員たちの手間暇や精神を知ると、製品の味わいが変わるものだ。
イノウエは、「里の曙」がなぜ美味しいのかについて、納得ができた。
こんなにこだわって商品造りをしているのだから、美味しいに決まっているじゃないか。
町田酒造の設備のここがすごい!
町田酒造には、まだまだ町田酒造ならではの設備というものがある。
それは、黒糖焼酎蔵元の中でも唯一と言われる研究室を兼ね備えているということ。
さらに、環境への配慮も考えて、蒸留粕などを肥料にしたり、水の浄化設備も整っているという点。
町田酒造の研究室では、専任の研究員がいて、もろみの分析を行いアルコールがしっかり生成されているかなどを検査している。
また、焼酎の味わいを左右する成分は基準値内であるか、酵母はしっかり働いているかなど製造のあらゆる工程で品質検査を行っているのだそうだ。
ここまで徹底して品質面を管理しているとなると、まさに大学の研究機関のようにも思えてくる。
実際、町田酒造は、行政や大学の研究機関などとも連携し、奄美黒糖焼酎の新たな発見、更なる革新を目指し努力を続けているとのこと。
まさに、すごい!の一言である。
また、町田酒造では、蒸留を終えた後の蒸留粕について、工場内の施設で濃縮され飼料や炭として生まれ変わり、家畜の餌や植物の肥料として活用されている。
さらに、工場で使用した水は、敷地内の浄化設備でバクテリアによる自然分解を経て、環境基準を十分にクリアする綺麗な水となって排出される。
最新の設備も、それを使う人がいてこそ真価を発揮する。
町田酒造では、このように、研究から環境面への配慮など、どこをとっても文句のつけようがない企業としての取り組みを行っており、これだけの内容を見た人は、心底安心感を覚えるというものだ。
町田酒造の具体的な製品をご紹介
ここでは、町田酒造が製造する、代表的な黒糖焼酎の銘柄のうち、いつくかの銘柄について、紹介していこうと思う。
「里の曙 長期貯蔵」
度数:25度
蒸留方式:減圧蒸留
「里の曙」については、これまでも解説してきたので、改めて解説する必要はないと思うが、簡単に解説を述べていこうと思う。
「里の曙」と命名したのは、「黒糖焼酎の製造販売を通じて、ここ奄美の里に夜明けをもたらすことができるように」との願いを込めて、「里の曙」と命名したということである。
減圧蒸留ですっきりとした味わいになった原酒をさらに3年貯蔵という熟成期間を経ることで、焼酎の味わいがすっきりとして、それでいて、深みのある味わいに仕上がっている。
イノウエもこれまで何度も世話になってきた焼酎ではあるが、イノウエのツイッターに、「里の曙」を絶賛するコメントが寄せられてきたことがあった。
なんでも、その人は、黒糖焼酎ばかりを飲んでいるそうなのであるが、あらゆる黒糖焼酎の中で、お湯割りが一番美味しいと感じる黒糖焼酎は、「里の曙」が一番だという話なのだ。
このことをイノウエは聞くまで、「里の曙」をお湯割りで飲んだことがなかったのである。
そもそもイノウエは、黒糖焼酎をロックでしか昔は飲んだことが無かったのであるが、最近、お湯割りにハマるようになった。
昔に比べて随分とアルコールが弱くなったイノウエは、お湯割りのアルコール濃度でも十分に美味しいと思えるようになったからだ。
それで、「里の曙」のお湯割りはというと、確かに!美味しい!
最近、妙に焼酎のお湯割りにハマっているイノウエは、とても有益な情報を得たと思った。
「里の曙」はロックや水割りでも美味しいが、お湯割りでもかなり美味しい。
みなさん、ぜひ試してもらいたい。
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「里の曙GOLD」
度数:43度
蒸留方式:減圧/常圧で蒸留した原酒を樽貯蔵し、ブレンド
「里の曙GOLD」についても、前に述べた内容なので、要点を述べさせていただきたいと思う。
このお酒は、ウイスキーやブランデーなど、度数の高いお酒を好む人向けにはオススメの黒糖焼酎となっている。
黒糖の濃い香りと味が楽しめ、樽の味わいも感じることができる一品。
まず、樽の風味と味わいを感じながら、喉の奥で、黒糖の香りと味わいを感じることができ、2度美味しいを味わうことができる一品。
イノウエは度数の高すぎるお酒は飲めなくなったが、もちろん、水やお湯など、度数を下げて楽しむこともできる。
しかし、このお酒を最も楽しむ飲み方は、ウイスキーと同じくロックであろう。
イノウエも若い時は、度数の高いお酒にハマる時期があった。
高いウイスキーやブランデーを買うなら、こちらを買ってみてもいいのではないかと思う。
黒糖焼酎の度数の高いお酒は、黒糖の甘さも十分に感じることができるので、ウイスキーよりも甘さがある分、こちらの方が美味しいと感じる人が多いのではないかと思う。
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「里の曙 瑞祥」
度数:25度
蒸留方式:常圧蒸留
次にご紹介するのは、「里の曙 瑞祥」という、常圧蒸留のお酒である。
このお酒を紹介する理由は、町田酒造の銘柄の中で、どちらかというと、少ない目の常圧蒸留の焼酎であるからだ。
このお酒、常圧蒸留といっても、とても飲みやすい常圧蒸留のお酒で、減圧蒸留の代表銘柄である「里の曙」よりも、黒糖の深みのある香りと厚みのある味わいが特徴のお酒となっている。
常圧蒸留の黒糖焼酎の中には、甘さをとにかく強調したお酒も多い中、この「里の曙 瑞祥」に限っては、ライトで飲みやすいお酒になっているというのが特徴である。
町田酒造の特徴としては、黒糖の雑味というものをほとんど感じさせない、すっきりとした飲みやすいお酒が特徴だと言える。
「里の曙」よりも、もう少し黒糖のパンチが欲しいと思う人であれば、こちらの「里の曙 瑞祥」を試してみるのもいいのではないかと思う。
このお酒であれば、きっと芳醇な黒糖の香りを楽しむことができる、そんな希望を叶えてくれるお酒だと言える。
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最新設備の町田酒造の挑戦はまだまだ続く
ここまで、町田酒造について、ご紹介してきた。
町田酒造の特徴は、何といっても、最新の工場設備と、挑戦心を忘れないで突き進んでいく従業員達の姿が特徴である。
何といっても、町田酒造には、「SATOAKE Spirits」という、全力でおもてなしをする精神がある。
この「SATOAKE Spirits」という言葉を聞くと、イノウエも奄美の人たちと繋がっていけるんだと、とても頼もしく思ったりするものだ。
研究設備を備え、環境にも配慮した取り組みで、今後も町田酒造は、黒糖焼酎の蔵元を引っ張っていく存在であり続けることであろう。
これをお読みの読者さまも、スーパーやリカーマウンテンで、黒糖焼酎のコーナーを除いてみてほしい。
そうしたら、きっと、「里の曙」がどーんと座っているに違いないからだ。
町田酒造の取り組みを聞いたイノウエは、ますます町田酒造のお酒を飲み続けたいという思いが強くなった。
今日も、「里の曙」のお湯割りが最高に美味い!
今回の記事は以上になります。
ここまで読み進めていただき、ありがとうございました。