黒糖焼酎蔵「松永酒造場」をご紹介

  • 12月 22, 2023
  • 12月 24, 2023
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波乱万丈の蔵の歴史を持つ蔵元が闘牛の島で新たなステージに再チャレンジ

人生において、さまざまな転機というものがある。

イノウエがこのブログを書き始めたのは2021年のことであったが、ちょうど黒糖焼酎のブログを書き始めようと思ったときに、徳之島の世界自然遺産登録の報告を聞いたのだ。

イノウエがブログを書こうと思ったタイミングでの世界自然遺産という嬉しい報告は、イノウエがブログを書いていくことに対して、大きく背中を押すことになった。

2021年の時点でイノウエは20年も黒糖焼酎を愛飲していて、黒糖焼酎の美味しさを伝える自信はあったのであるが、黒糖焼酎はイノウエが住んでいる大阪ではあまりにも知名度が低かったのだ。

こんなふうに、人生には大小はあれど、さまざまな転機というものがあって、人生という一人の人間ではなく、例えば、国や組織などにも転機というものが存在する。

そんな、人生の転機を何度も経験するような、波乱万丈な人生、いや組織ともいうべき、蔵元がある。

波乱万丈という表現に最もふさわしい黒糖焼酎の蔵元といえば、松永酒造場がそれにあたる。

後に蔵元の歴史を述べるが松永酒造場は、昭和50(1975)年10月に起きた豪雨災害で、壊滅的な打撃を受け、蔵元の設備が水流で流されてしまうのだ。

松永酒造場が波乱万丈なのはそのような災害というだけでなく、例えば、奄美群島でいち早く、東京に事務所を置いて、奄美群島出身の人々に島のお酒を届けようと販売を始めるのだ。

さらに松永酒造場は、現在、4つの蔵元が原酒を持ち寄る共同瓶詰会社である「奄美酒類」を設立させた立役者でもあり、この蔵元無くして、黒糖焼酎の歴史は語れないのである。

そんな松永酒造場が2023年で71年の歴史の中で、大事にしてきた蔵元の味というものがある。

それが、松永酒造場が製造する黒糖焼酎「マルシカ」である。

実は、松永酒造場が単独で「マルシカ」を販売するのは実に半世紀ぶりのことなのだ。

記憶どころか記録さえおぼつかない幻の銘酒を復活させようなんて、至難の業だったに違いない。

ここで重要なのは、新しく商品を開発させて部分も多分にはあったのであろうが、昔、主に島でたくさんの人に愛された、幻の銘酒を復活させたという点が注目すべき点なのだ。

昔の人に愛された幻の銘酒を復活させることができれば、現在の人にもきっと愛されるであろう、そんな蔵元の歴史を重んじる姿勢が製品に重みを与えてくれる。

そして、蔵元が精魂込めて復活させた半世紀も前の幻の味を、私達は今、手に取って味わうことができるのだ。

松永酒造場では、味の管理人である杜氏(とうじ)をトゥジとして崇め、杜氏を初代から女性が行うことによって、女性らしい優しい味わいというものを表現してきた。

今回、復活した幻の銘酒「マルシカ」も、代表である晶子社長の魂の結晶でもある。

その味わいは、蒸留に特殊な技術を施すことにより、黒糖の深い香りと芳醇な甘い味わいが見事に表現され、幸せの甘い味わいを感じることができる。

そして何といっても、「マルシカ」は見ていてとてもスッキリとした透明感で、オシャレな見た目でいかにも女性的である。

黒糖焼酎の瓶の見た目はどちらかというと、男性的な特徴を持つ銘柄が多い中、「マルシカ」は見た目、デザイン的にも女性目線で製造されているのだ。

2023年現在は、焼酎ブームでは無いのであるが、これから必ず来るであろう焼酎ブームを牽引するのは、間違いなく女性の存在である。

だからこそ、そんな女性らしい表現の詰まった黒糖焼酎「マルシカ」を男性が飲むことによって、男性にも広く理解され、その良さが伝わっていくのではないかと思うのだ。

みんな、半世紀ぶりに復活した幻の銘酒が皆に注目される前に、今のうちに飲んでみて、知っておこうではないか。

徳之島ってどんな島なの?

みなさんは、徳之島(とくのしま)をご存知だろうか?

ここでは、徳之島のことを以下に簡単に解説させていただこうかと思う。

ただ、徳之島についての詳しい内容については、別の記事でガッツリと紹介記事を作成しているので、ここでは、簡単な紹介だけにとどめておこうかと思う。

徳之島は、奄美大島の最南端にある与路島と沖永良部島との間にある奄美諸島の中では、奄美大島の次に大きく、人口の多い島である。

実は、徳之島と沖永良部島では、ここの島を境に、沖縄色と鹿児島色の境目となっている。

徳之島は、奄美諸島の中でも闘牛の文化が残っていることや、トライアスロンが盛んであったり、島としての魅力を語るには話題に事欠かない島である。

そして、徳之島では、何といっても壮大な自然があり、2021年7月26日には、世界自然遺産登録された、最も注目すべき島だと言える。

徳之島にも徳之島空港があり、最短で移動する方法ではあるが、最安値で行くには、那覇か奄美大島からフェリーを利用するのが最安値となっている。

ここでは、徳之島の中でも、松永酒造場周辺の観光スポットについて、いくつか簡単にご紹介していきたいと思う。

有限会社松永酒造場

今回ご紹介させていただいている松永酒造場である。

松永酒造場は、徳之島伊仙町の南西の海岸沿いといった場所にある。

松永酒造場へのアクセスは、船の場合、亀徳港から県道を南へ25分、飛行機の場合、徳之島子宝空港から南へ25分の場所にある。

世界長寿者泉重千代翁宅案内板が目印となっている。

工場案内は事前予約で受け付けを行っているので、予め予約をして訪問するようにしよう。

小原海岸・展望台(こばるかいがんてんぼうだい)

犬田布岬からほど近く、小原(こばる)海岸がある。

小原海岸は、隆起したサンゴ礁に溜まった暖かい海水で、以前は湯治の地として知られていた。

ここは、徳之島の西海岸らしく、波によって浸食された巨大な岩の数々を見ることができる。

展望台と海岸に降りる道は離れているが、距離が離れている分、辿り着いたときの達成感は満足の行く光景が見られるので相当なもの。

海岸に降りると落差30mの巨大な滝が見られる。

犬田布岬(いぬたぶみさき)

犬田布岬は伊仙町役場から西へ車で約15分のところにある。

ここは、徳之島の最西端、島の南西部の東シナ海に三角形に突き出した琉球石灰岩の海蝕崖の岬のこと。

奄美群島国立公園の一部であり、奄美十景のひとつにも選ばれている。

高麗芝の広場には戦艦大和の慰霊塔がそびえ立ち、4月7日には慰霊祭が執り行われ、ご遺族をはじめ多くの人々が集まり、祈りをささげ、平和を誓う場所でもある。

泉重千代翁之像

泉重千代之像は徳之島の誇る人物で伊仙町阿三で生まれ育ち、昭和51年に長寿世界一となった方の寿像のこと。

松永酒造場の近くにあり、この蔵元を訪ねる場合、アクセスが良いのでついでに寄ることもできる立地だと思う。

泉重千代さんは、昭和57年に翁の功績と長寿を讃え、寿像が建立された。

観光バスが来るほど有名になり訪れた知らない人たちにも笑顔で温かく接する優しい人柄だったのだそう。

そんな泉重千代さんが生活した家が今も観光スポットとして残されている。

伊仙町立歴史民俗資料館(いせんちょうりつれきしみんぞくしりょうかん)

旧農業高校の校舎をそのまま利用した歴史民俗資料館は、伊仙町役場からすぐ近くにある。

館内は自然、民具、考古資料の分野に分かれて、徳之島の風土や昔の生活について学べるようになっている。

ここでは、砂糖車(サタグンマ)などの民具や、島唄の映像資料等は、島独自のコンテンツとして他では見ることのできないものが展示されている。

自然、民具、考古資料とさまざまな方面から徳之島について学ぶことのできる歴史民俗資料館である。

松永酒造場の歴史について

ここで、松永酒造場のこれまでの生い立ちについて、述べて行こうと思う。

※ 本内容については、かなりの内容を、「あまみの甘み あまみの香り」鯨本あつこ・石原みどり 著から引用しています。

松永酒造場は、徳之島南部の伊仙町・阿三(あさん)の県道沿いにあり、入口にずらりと並んだ甕(かめ)が目印となっている。

この甕はかつて、蔵で仕込みに使用されていたものだということである。

松永酒造場の創業は昭和27(1952)年で、奄美群島の日本復帰を見越した初代の松永清(まつなが・きよし)氏が港町だった伊仙町・鹿浦(しかうら)に酒造場を開いたのが始まりである。

当時、松永酒造場では、代表銘柄を「まる鹿」と名付け、清氏が経営を、妻のタケ子氏が杜氏(とうじ)を担う、夫婦二人三脚の商いでスタートした。

黒糖焼酎の島外販売に意欲的だった清氏は、創業6年後の昭和33(1958)年に株式会社奄美商店を設立する。

長女の玲子(れいこ)夫婦を上京させ、奄美群島の蔵としては初の東京事務所を開き、掘っ立て小屋のような木造事務所を拠点に黒糖焼酎「あまみ」の販売を始めた。

当時、黒糖焼酎の需要が各蔵の近辺に限られていたなかで、首都での販売に打って出た奄美商店の事業はかなり時代の最先端を行く試みだったといえよう。

松永酒造場のこうした活動の原動力となったのは、「内地で働く奄美出身者に島の焼酎(セエ)を届けたい」との清氏の思いと、それを支えた家族の力だったということである。

松永酒造場が東京に事務所を開いて数年後、杜氏のタケ子氏が急逝。

突然の出来事で、帰島することになった玲子氏は、タケ子氏の代理で蔵に来ていた沖縄杜氏のやり方を見て「これではだめだ、私が造る」と杜氏を追い返し、自ら焼酎を造り始めたのである。

その後、清氏が島内の酒造各社に働きかけ、昭和40(1955)年に共同瓶詰会社の奄美酒類を設立し、島内の蔵が一丸となって島の内外へ販売を行う体制を作った。

松永酒造場の銘柄「あまみ」は「奄美」として引き継がれ、二代目夫婦による島外販売の努力は、奄美酒類の営業活動へ道を切り開くことになった。

松永酒造場の創業地である鹿浦は、卸問屋や倉庫、宿などが立ち並び、人と商品が行き交う港町であった。

鹿浦では、港で働く男たちが、仕事上がりに1日の疲れを癒す酒を求めて蔵を訪れたという。

鹿浦ではさらに、のちに120歳で長寿世界一を記録する泉重千代氏も鹿浦港で仲士(なかし)という荷揚げ人として働いていた一人だったとのことである。

船による流通の要所として栄えていた鹿浦だったが、昭和50(1975)年10月に起きた豪雨災害で、壊滅的な打撃を受けることになる。

当時、10月15日から16日にかけて豪雨が続き、鹿浦川上流で倒木により、川がせき止められて決壊して、この日の夜間に、街を鉄砲水が襲ったのである。

そのせいで、激しい水流は道をえぐり、多くの家屋が倒壊してしまったのだ。

さらに鹿浦では、港が破壊され、河口付近にあった松永の蔵も、酒造道具ごと流されてしまったのである。

昭和50年に起きた、このときの水害をきっかけに、多くの人が高台へ移転し、鹿浦の町からは腰が抜けたように、人の姿が消えてしまったのである。

微生物を相手にする酒造りにとって、大きく環境を変えることになる蔵の移転は、大変なリスクを伴うものであり、勇気のある決断となる。

そんな中、玲子氏は蔵の移転に反対し、鹿浦に残って蔵と地域の復興に努めたのであるが、昭和50年の水害より8年後の昭和58(1983)年に、高台の現在地へ蔵を移転することになった。

現社長である松永晶子(まつなが・しょうこ)さんは、東京農業大学醸造学科で酒造りを学んだ。

鹿浦の水害当時、晶子さんは、小学生だったということで、雨の降る闇夜のなか、避難した記憶があるのだという。

現在の松永酒造場では、松永晶子氏が蔵の社長兼杜氏を務めている。

実は、松永酒造場は、2021年まで、5社の蔵元が原酒を用いて販売する「奄美酒類(あまみしゅるい)」を構成する一つの蔵元であった。

2021年のこの年、晶子氏は、松永酒造場として、「奄美酒類」を離れ、独立した。

そして、2023年の現在の松永酒造場に至るのである。

このように、松永酒造場では、通常では考えられないほどの激動の歴史をたどってきた蔵元であると言える。

再起をかけた、蔵元の新しい門出を、イノウエも頼もしく思い、大きな声援で応援してきたいと思った次第である。

松永酒造場の造りのこだわり

ここからは、松永酒造場の黒糖焼酎造りについて、記載していこうと思う。

松永酒造場では、焼酎造りのほとんどの工程を手作業で行っている。

そのため、どの工程も重労働と軽作業という区分けはなく、肉体的に酷使しなければならない作業ばかりである。

ただ、晶子社長によると、焼酎造りが本当にお好きのようで、どの工程をもってしても、焼酎造りそのものが楽しいとのことである。

マルシカを復活させる際に、蔵元で長年育てていた麹菌を使うのでそのままでも復活しそうなもののような気がするのであるが、いざ商品化となると、相当な苦労があったに違いない。

晶子社長によると、「マルシカ」の復活を試みる際に、晶子社長の好みであるスッキリとした味わいにこだわりたかったという思いもあり、ステンレスタンクでの貯蔵にこだわったとのことである。

ホーロータンクや甕貯蔵の焼酎は、独特のクセのある味わいになってしまい、スッキリとした透明感の味わいを目指す晶子社長にとっては、ステンレスタンクでの貯蔵がむしろ理想形のようである。

そして、松永酒造場では、昔ながらの黒麹を使用して、素材である黒糖の味わいを引き出すことにこだわっている。

とにかく、素材である黒糖の良さを最大限に引き出すものの、雑味などのいらない要素はとにかく排除するといった心がけで、純粋で透明感のある女性らしい黒糖焼酎を表現しているとのことである。

晶子社長に焼酎の造りで最も気を配っている点について聞いてみると、「気の流れ」を大切にしているとのことである。

「気の流れ」というのは、実際に現場でいないとわからない空気感のようなもので、一見したとろ、そのような不確定な要素など、造りに本当に必要なのかと疑問に思う人もいるかも知れない。

しかし、焼酎の造りには、何千種類と言われる微生物で成り立つ環境があったり、造り手の想いが商品に現れたりするなど、教科書の載っていないような極秘事項というものが確かに存在する。

そんな中で、晶子社長の言われいる「気の流れ」というパラメーターは、焼酎造りで最も重要な要素であることは間違いないのだ。

半世紀ぶりに復活した幻の銘柄である「マルシカ」。

それは、ただ単に、復活したというよりかは、進化していると言った方が良いような昔と今の融合の結晶だとイノウエは印象を受けた。

闘牛の島だからこそ一度は訪れたい伊仙町の闘牛場「犬田布闘牛場」をご紹介

徳之島といえば、闘牛場の島である。

徳之島では、比較的大きな闘牛場だけでも、7つの闘牛場があるとされ、闘牛の訓練場となると、もっとたくさんの場所で闘牛の訓練が行われている。

徳之島では、島の行事のたびに、各地で闘牛が行われるほど、島の行事と闘牛との関係はとても深いものがあるという。

そんな徳之島の闘牛で特に盛り上がるのが、島一番の闘牛を決める、全島大会である。

全島大会は、GW、10月、1月と、祭りのシーズンに行われ、全島大会には約3000人の闘牛ファンが押し寄せて闘牛を観戦する。

ただ、全島大会が開催される場所については、特定された場所というのが無く、持ち回りで話し合いなどで、その都度決められるのだという。

そんな徳之島の闘牛場で、全島大会が行われる闘牛場の一つである、「犬田布闘牛場」について、簡単にご紹介していきたいと思う。

「犬田布闘牛場(いぬたぶとうぎゅうじょう)」の基本情報

犬田布闘牛場へは最寄りのバス停、犬田布闘牛場のバス停からアクセスできる。

2016年に10年ぶりの闘牛大会が行われたということで、今はほとんど使用されていないことが多いようである。

ただ、犬田布闘牛場は道路からでもすぐに確認できる闘牛場で、昔ながらの闘牛場の雰囲気が今でも伝わってくるような古くからある闘牛場である。

徳之島では、20か所以上の場所で闘牛の大会が行われたりするので、訪れた地域で闘牛が開催されているときは、是非とも訪れたいイベントである。

インタビューに応じていただいた人

今回、イノウエの取材でインタビューに応じていただいた人について、記載していこうと思う。

杜氏  松永 晶子(まつなが・しょうこ)社長

今回インタビューに応じていただいたのは、松永晶子社長で、松永酒造場が復活するまでは、杜氏兼社長を務められていた代表である。

晶子社長は、とにかく柔らかな印象の人で、そんな人との初めての会話で、いきなり忙しい空気感が伝わってきた。

しかしイノウエと晶子社長が会話しているうちに、晶子社長の焼酎造りに対する情熱に火がついたのか、多くの想いを語ってくださった。

前にも述べたことであるが、晶子社長によると、焼酎造りには、「気の流れ」という、現場の空気感というものをとても大切にしているということである。

イノウエ的にも晶子社長が、焼酎造りの1分1秒をとても有意義に過ごされている印象がとにかく伝わってきた。

そんな晶子社長に、徳之島の魅力を聞いてみると、ガイドブックに載っているようなことはもちろんであるが、パワーを感じるとのことである。

晶子社長は、「気の流れ」だとか「パワー」といった、自然の気を感じる、自然との融合がとても強いお人のようで、こういった感覚は、徳之島という自然のたまものだと言えよう。

イノウエはお酒を飲むときに、どのような度数(最近は歳のせいで度数に対応できなくなったが)や飲み方でも対応できるというという自負があったのであるが、晶子社長はあらゆる酒に対応可能とのこと。

どのような度数でも飲める晶子社長の好みの焼酎の味わいが、意外にもスッキリと透明感のある味わいというのは、「マルシカ」を飲んだ後に晶子社長の酒対応力は想像がつかないギャップであろう。

晶子社長も徳之島の若者と同じく、大学では、東京農業大学の醸造学科卒ということで、大学の4年間は東京でお過ごしだったとのことである。

そんな晶子社長も、東京の大学を卒業して、素直に徳之島に戻ってこられたということは、それだけ徳之島が魅力だったに違いない。

イノウエ的に不思議だったのが、松永酒造場の商品のラインナップである、「マルシカ」の「グァバ茶」と「シークニンリキュール」である。

これは、他の蔵元との差別化のためかどうか聞いてみたところ、どうもそうではなく、長年温めてきた商品イメージだったとのことである。

「マルシカ」の「グァバ茶(徳之島産の万人向けの味わいのお茶)」との相性は、いろいろと黒糖焼酎との相性を試した結果、いつも「グァバ茶」が勝利したのだとか。

さらに、「シークニン(徳之島産地の柑橘系の果物)」については、徳之島産だから広めたいというよりかは、「シークニン」が美味しいことはわかっていたから利用したかったとのことである。

この文章では伝えきれないが、「グァバ茶」と「シークニン」との黒糖焼酎「マルシカ」との融合はとにかく神なのだ。

「グァバ茶」と「シークニン」との融合商品についてはこの後で述べるが、これは、とにかく秘宝ともいうべき味わいである。

酒好きというよりかは、イノウエ的にもお酒という意味では豪傑である晶子社長とのインタビュー。

イノウエは、晶子社長と飲み比べでは、恐らくは敵わないものの、お酒に対する情熱や思いを、いつまでも語ることの同志として、深く印象付けるようなインタビューであった。

松永酒造場の具体的な製品をご紹介

ここでは、松永酒造場が製造する、代表的な黒糖焼酎の銘柄のうち、いつくかの銘柄について、紹介していこうと思う。

奄美黒糖焼酎「マルシカ」

度数:25度

蒸留方式:常圧蒸留

松永酒造場の代表銘柄である、奄美黒糖焼酎「マルシカ」は、前にも述べたように、半世紀ぶりに復活した幻の銘酒である。

松永酒造場では、代々、女性杜氏が蔵元の味を守ってきたので、デフォルトで女性に好まれやすい味わいになっている。

その味わいは、芳醇な甘さとコクが感じられ、それでいて飲みやすくて優しい味わい。

実は、イノウエの印象として、徳之島で飲まれている黒糖焼酎は比較的クセが無くて飲みやすい銘柄が多いというのが印象である。

闘牛の島に似つかわしくない、とてもスマートで丁寧な味わいの多い徳之島の黒糖焼酎の中でも、「マルシカ」は女性杜氏が丁寧に仕上げた優しい味わいとなっている。

アルコール度数25%で仕上げているというのも優しさの象徴のようなもので、黒糖焼酎は30度がデフォルトの味わいが多い中で、25%というのは体にも優しい味わいとなっている。

女性杜氏が造った焼酎だから、ぜひとも女性にまず飲んでもらいたい。

半世紀ぶりに復活した幻の味というだけでも、話題性は十分でいろんな人に自慢できるのではないかと思う。

まずは手に取って試してみよう。

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徳之島産無農薬グァバ茶リキュール「マルシカ」

度数:12度

蒸留方式:常圧蒸留

グァバ茶はクセがなく、ほうじ茶のようなまろやかな味わいである。

小さいお子様でも飲める飲みやすい味わいなので、野菜嫌いのお子様にもおすすめできるお茶である。

グァバ茶はグァバの葉を使用している為、すっきりと清涼感ある香りと味わいが特徴で、日常茶として飲みやすいお茶である。

そんなグァバ茶と黒糖焼酎との相性はいかに?

もちろん、相性は抜群である。

グァバ茶も「マルシカ」も女性向けのとても優しい味わい同士なので、とても良いコンビネーション。

黒糖の甘さに茶のほど良いまろやかな苦味が、甘さに奥行きを持たせ、とても深い甘さを演出してくれるのだ。

実は、芋焼酎と茶とのブレンドをしているような銘柄もあるくらい、お茶というのはいろいろなお酒との相性が抜群に良かったりするのだ。

お茶はコーヒーほどではないにしろ、中毒性のある飲み物なので、お茶が好きな人は、グァバ茶リキュール「マルシカ」を試してみるといいだろう。

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徳之島産無農薬シークニンリキュール「マルシカ」

度数:10度

蒸留方式:減圧蒸留

シークニンとは徳之島で自生している柑橘系の食べ物のこと。

ただ、シークニンはとても酸っぱくて、そのままでは食べない。

なぜなら鳥や虫も食べないほど『酸っぱい!』からである。

ただ、徳之島に自生する島みかん「シークニン」美容と健康に良い成分が豊富に含まれるスーパーフードとして扱われているのだ。

美味しいだけでなく、美容と健康に良いというのなら、是非とも飲んでみたいと思う人も多いのではないかと思う。

シークニンリキュール「マルシカ」は、無農薬栽培のシークニンがたっぷり入った、爽やかでフローラルな香りと酸味、苦みが楽しめるリキュールである。

徳之島産のものを全国に届けたいと思う蔵元が精魂込めて開発した商品。

これまた、黒糖焼酎との相性も抜群で、やはり同じ島の素材を使ったものというのは、不思議と相性が良くなるものである。

徳之島産が詰まったシークニンリキュール「マルシカ」を飲んで、是非とも島時間を共有しようではないか。

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半世紀ぶりに復活した幻の銘酒、今だからこそ誰よりも先に味わうことができる

ここまで、松永酒造場について、ご紹介させていただいた。

冒頭でも述べたように、松永酒造場は波乱万丈な歴史を持っている蔵元であり、奄美群島において、黒糖焼酎の歴史はこの蔵元の歴史無しでは語れないのである。

昭和50(1975)年に起きた水害は不運としか言いようがないのであるが、水害の起きた鹿浦で最後まで居残りを続けようとしたその姿勢はほんとうに脱帽してしまうようなことである。

なんせ、災害のあった場所に残る理由が、蔵元の味を守るためだというから、どこまでも人に愛された味を残していきたいという蔵元の切なる願いが伝わってくる。

イノウエもブログの記事を書くにあたり、大きく変わったのは、蔵元の歴史を知っていくうちに、黒糖焼酎がなお一層美味しく感じるようになったことだ。

商品というのは本当に不思議なもので、原料の黒糖のことや、仕込み方法、蔵元の苦労話などを聞くと、商品の価値がとても貴重なものに感じ、一滴一滴が本当に美味しく感じられるのだ。

そんな中、半世紀をかけて復活した幻の銘酒だと聞いて、飲みたくなる人も多いのではないかと思う。

この摩訶不思議な「幻」という表現に、敏感に反応してしまうのが言葉の持つ力なのであろう。

松永酒造場は言葉では語り尽くせないほどの、波乱万丈な歴史を持っていて、この蔵元が存在しているだけで、イノウエは嬉しくなってくるのだ。

先にも述べたことではあるが、いつの時代もブームを牽引するのは、女性である。

松永酒造場は代々、女性杜氏が味を守ってきており、女性目線での商品造りが特徴の蔵元になっている。

そのため、女性が表現した焼酎を男性が飲むことによって、男性も女性が求めている味を理解することができ、男女ともに焼酎が楽しめるというものである。

イノウエは「マルシカ」を風呂上りにロックでいただこうと思った。

「マルシカ」のデザインは本当にオシャレで、特別な飲み物を目で見て楽しみながら飲めるという、楽しむ雰囲気も兼ね備えている。

そのお酒をグラスに注ぎ、香りを嗅いでみると、黒糖の芳醇な甘い香りがほのかに漂ってくる。

そして、飲んでみると、黒糖の芳醇な甘さが優しくまとまっていて、余韻もスッキリととても飲みやすい。

「マルシカは見た目でも楽しいので、オシャレな雰囲気を感じながら飲むマルシカは味わい良し、雰囲気良しだな。」

今回の記事は以上になります。

ここまで読み進めていただき、ありがとうございました。

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