夕陽を眺めて、「朝日」を飲む
イノウエ(私)は、黒糖焼酎の老舗であって、黒糖焼酎らしさの基本ともいえる「朝日」を製造している、朝日酒造への、念願の取材を実現することができた。
以下は、喜禎社長とのお話で、初めにお話ししてくださった、喜禎社長が大好きな、イベントの様子のお話である。
千賀(せんが)氏「社長、皆さんの準備が整いました。」
喜禎(きてい)社長「そうか、じゃあ、いきますか!
はい、皆さーん、今日は、朝日酒造のバーベキューにお越しいただき、ありがとうございます。
早速ですが、皆さんで食事をしながら、お酒を飲んで楽しみましょう!
では、皆さん、乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯!」
パチパチパチ。
これは、「朝日酒造」主催の、お客様との交流イベントの様子だ。
そして、このイベントにはなんといっても、バーベキューのお供には、黒糖焼酎「朝日」は欠かせない。
喜界島にある、朝日酒造から近くにある、きれいな夕日の見えるスギラビーチでのイベントである。
喜禎(きてい)社長「ここね、これいな夕日が見えるんですよ。だから、夕日を見ながら朝日を飲むってね。」
客員A「ハッハッハッ、上手いなあ、社長!でも、夕日を眺めて飲む「朝日」なんて、洒落て面白いじゃないですか!」
喜禎社長が考案したこのイベント、名付けて、「夕日を眺めて朝日を飲む」。
喜禎社長によると、このイベントの楽しみは何といっても、朝日酒造が製造した「朝日」をお客様が飲む光景を間近で見られるということだ。
お客様に、「美味しい」と言ってもらえる喜びは、何度言われても、嬉しいのだと言う。
お客様に「美味しい」と言われる喜び、こんな素朴な喜びを大切にしている朝日酒造だからこそ、いつまでもどこまでも、期待を裏切らない美味しさが保たれるのだろう。
朝日酒造には、このほかにも、当社で生産している、サトウキビをお客様と一緒に収穫するというイベントが、主に、冬から5月初旬頃まで行われるとのことある。
サトウキビの収穫イベントのあと、朝日酒造の従業員たちとお客様とで、冬の寒い日は、近くの居酒屋で飲み会を、時効の良い季節には、夕日を見ながらバーベキューなどを行っているということである。
このように、お酒の生産者と愛飲者がともに同じ席で楽しく会話をしながら酒を飲む光景は、さぞかし有意義な時間であるに違いない。
朝日酒造では、お客様が、「朝日」を飲んでいる様子をもっと知りたい!という、思いから、商品の販売ルートの開拓などにも力を入れていくようになった。
もともとは、酒蔵の蔵元というのは、卸問屋にお酒を卸すのが、通常の販売方法である。
しかし、卸問屋に販売したあとの、お酒の流通の流れを蔵元が知るということがない。
昔は、お客様が、どういう表情でお酒を飲んでいるのかが、わからなかったのである。
しかし、今は、SNSの発展などで、お客様の表情が何となく伝わるようになってきた。
(お客様の表情が見たい。
お客様が、自分の商品に対して、本当に満足していただいているかを知りたい。)
そんな思いから、喜禎社長の代で、これまでの流通と違う販売ルートを開拓し始めたのだそうだ。
いわゆる、お酒の販売店や、本土の流通センターなどに、積極的にアポをとり、卸問屋ではない、流通ルートを、新しく切り開いていったのである。
そしてさらに、今回の、お客様とのバーベキューイベントや、サトウキビの収穫イベントという、朝日酒造の新しい取り組み。
こういった蔵元の思いにより、これまで以上に、お客様の声を聞ける環境に、朝日酒造は身を置くことができるようになったのだという。
まさに、あくなき、お客様への真心だといった感じか。
奄美群島で初めての黒糖焼酎の蔵元である「朝日酒造」
イノウエは、朝日酒造を取材する前に、黒糖焼酎のブログを書く上で、一冊の本に出会った。
「あまみの甘み あまみの香り」 著者:鯨本あつこ・石原みどり
イノウエは、何度もこの本を読み返しては、この本の素晴らしさに、感動している。
この本の感想などについて記載すると、書面がいくらあっても足りなくなるので、ここでの本の感想については、省略させていただくことにする。
ここからは、この「あまみの甘み あまみの香り」に記載していた情報をもとに、新しくお伺いした、「朝日酒造」の歴史について、述べていこうと思う。
「朝日酒造株式会社」は、奄美群島の喜界島にある蔵元で、この蔵元の代表を勤めるのが、喜禎浩之(きていひろゆき)といい、ここの蔵元の4代目となる。
また、喜禎代表は、「朝日酒造」の代表兼杜氏(とうじ:お酒の味を管理する人)でもある。
「朝日酒造」の創業は、大正(1916)5年、喜禎康二(きていやすに)氏が妻のハツ氏を杜氏とし、泡盛の酒造所「喜禎康二商店(きていやすにしょうてん)」として創業したのが始まりであった。
ここで、康二もハツ氏も、どちらも喜界島の人であった。
「朝日酒造」は、この年2022で、創業106年を迎える、奄美群島で、最も老舗の蔵元である。
「朝日酒造」の創業者である康二は、泡盛の酒造所として創業した理由に、泡盛の技術を持ってきたいという思いがあったのだろう。
康二は、妻のハツ氏とともに、沖縄から泡盛の杜氏を招いて、泡盛造りから酒の造りを始めた。
当初は、沖縄の泡盛の製造技術を喜界島で再現するため、泡盛の製法を再現することに務めていた。
しかし、ここ喜界島を代表とする農産物といえば、サトウキビである。
通常、地元産の物を使って、商品化するというのは、自然の流れである。
最初は泡盛を作っていた康二も、やがては地元産のお酒を作りたいという思いがあったのだろう。
その結果、今の黒糖焼酎の原型である、黒糖酒を、康二は作るようになっていった。
そう、黒糖焼酎は、喜界島の代表的な農産物である、「サトウキビ」をお酒にした、いわば、地場の産業である、喜界島のソウルフードだったのだ。
そして康二が、奄美黒糖焼酎を造るようになってから、蔵元の名前を、奄美群島で一番最初に朝日が見える蔵元である(現在は喜界島酒造様の方が、若干北に位置している)ということにちなんで、代表銘柄を「朝日」と改め、蔵元の名前も、代表銘柄にちなんで、「朝日酒造」と改名した。
この、喜界島での康二の黒糖焼酎造りが、奄美群島の黒糖焼酎の全ての始まりであった。
喜禎代表は、そんな「朝日酒造」の創業者である、康二のことを、とてもほこりに思っているのだという。
何と言っても、「朝日酒造」は、奄美群島で最も初めに黒糖焼酎を作り始めた蔵元である。
現在、奄美群島には、26の黒糖焼酎を製造している蔵元がある。
その、26の蔵元の中でも、4つの蔵元の共同瓶詰蔵元となっている「奄美酒類」と、4つの蔵元の共同瓶詰蔵元となっている「沖永良部酒造」を一つの蔵元と考えた場合、19の蔵元が存在している。
「朝日酒造」は、それら19の蔵元の中でも、最も歴史のある蔵元なのだ。
「朝日酒造」は、黒糖焼酎の歴史を語る上で、無くてはならない存在なのである。
黒糖焼酎の歴史は、言わば、朝日酒造の歴史でもあるのだ。
朝日酒造がどこまでも未来永劫、続いていけば行くほど、朝日酒造の存在価値が重要になってくるのは言うまでもない。
黒糖焼酎の最も歴史ある蔵元の焼酎と聞けば、是非とも飲んでみたいという人も多いのではないだろうか。
イノウエには、この、朝日酒造が黒糖焼酎蔵元の中でも、最も老舗な蔵元であるという響きは、特に印象深い。
というのも、これからもっと訪れるであろう海外のお客様の中でも、特に歴史を重んじる、例えば、ヨーロッパ人などの訪問客などには、かなり響きそうな響きではないかという気がした。
音楽家を目指した学生時代
今では「朝日酒造」の4代目を務める、喜禎代表は、初めから、酒蔵の代表になりたかったというわけではないそうで、意外にも、音楽に明け暮れた青春があったという話なのだ。
喜禎代表が、小学生の頃、パイロットを夢見たという。
イノウエは、この喜禎代表の夢というのは、意外にも、とてもありがちな、普通の少年の未来ではないかと素直に思った。
そんな喜禎代表は、小学校を卒業すると、中学、高校時代を鹿児島県の本土にて過ごしたのだという。
喜界島の人は、学生時代に島外に出る学生が多い中、喜禎代表の島外進出は、島の中でもとりわけ早い方だったようだ。
そして、喜禎代表は、高校、大学のころ、音楽活動を趣味にするようになったのだという。
当時の音楽活動を、嬉しそうに語ってくれた喜禎代表は、さぞかし、熱心に音楽活動を行っていたのであろう。
イノウエ(私)も高校時代はバンドを組んでいたのだが、イノウエが担当していたのはドラムであった。
そしてなんと、喜禎代表が高校時代から担当している楽器は、イノウエと同じくドラムであったということなのだ。
イノウエのドラムは、とても人様に聞かせるほどには程遠い腕前しかないのであるが、喜禎代表は、今でも演奏したくて、ウズウズすることがあるのだという。
イノウエには、その言葉だけで、喜禎代表が本格的に音楽活動をしていた様子が伝わってきた。
しかし、喜禎代表がおっしゃるには、音楽の道というのは、そんなに簡単なものではないと言われていて、イノウエも素直にそれに納得。
結局のところ、音楽を本業で飯を食べるなどということは、ほとんどの場合、夢物語である。
余談であるが、イノウエは、過去の知り合いの話の中でも、音楽家を目指していたという話は、数えきれないほど聞いてきた。
世の中には、音楽で有名になりたい若者なんて、星の数ほどいるし、有名でなくても、音楽が好きな人はたくさんいる。
そんな中、イノウエにとっては、喜禎代表の音楽の取り組みの過去を聞いたときは、新鮮な驚きのような嬉しさを覚えた。
まさか、こんなところにも、音楽好きがいたということについて、イノウエと同じように、音楽を励んだ同志がいたとは!
そんな中、喜禎代表は、高校を卒業すると、東京農業大学に進み、東京での生活を始めたとのこと。
喜界島→鹿児島→東京と渡り歩いた喜禎代表には、東京という土地は、新鮮なエネルギーを感じたに違いない。
喜禎代表がおっしゃるには、東京では、様々な人との出会いもあって、人生経験で、今でも鮮明に覚えているほどに、いろいろな経験をすることができた貴重な時間であったという話である。
そして、喜禎代表は、東京で、日本酒というお酒の魅力にとても関心を持つようになったのだという。
なんでも、喜禎代表が夢中になったのは、日本酒が美味しいということではなく、どちらかといえば、日本酒の作りの方だったのだそうだ。
もちろん、日本酒は、美味しいのは当然だったのではあるが、もともと喜禎代表は、蔵元の家柄の出身ということもあり、日本酒の造りがとても面白いと感じたとのことである。
ここで、喜禎代表によれば、東京で発見したお酒の造りの面白さというのは、だいたい次のようなことである。
お酒というのは、造る場所や人によって味が変わるのである。
例えば、仮に同じ場所で、同じレシピで、同じお酒を造ったとしても、お酒というのは、作る人が変わるだけで、味が変わってしまう。
だから、1000人のお酒の造り手がいれば、1000通りのお酒が出来てしまう。
そう、まるで、お酒というものは、造り手の気持ちが、そのまま商品化されたようなものである。
喜禎代表は、そんなお酒という商品が、こんなにも造り手の気持ちを汲む飲み物であるという面白さに、大いなる魅力を感じるようになったのだという。
そして、こんなことを思うようになっていたのだそうだ。
「自分の、自分だけにしか作れない、お酒を作ってみたい。
いや、蔵元の後継者として、自分だけの黒糖焼酎を造ってみよう。」
インタビューに応じてくれた方々をご紹介
今回の記事作成にあたり、朝日酒造の方々で、インタビューに応じていただいた方々をご紹介したいと思う。
代表取締役 喜禎浩之(きてい・ひろゆき)氏
始めにご紹介するのが、朝日酒造(株) 常務取締役 代表取締役 喜禎浩之(きてい・ひろゆき)氏
氏である。
今回、イノウエが初めにお話しさせていただいたのが、喜禎社長である。
喜禎社長は、とても謙虚で気さくな方で、少し話しただけで、この人を嫌う人など存在しないのではないかと思うくらいに、とても良い人のように思えた。
初対面のイノウエに対し、音楽で話が合いそうなどのお言葉をいただくなど、基本的に、イノウエが好きな人だと思った。
恐らく、喜禎社長ならば、朝日酒造をもっと大きな会社に成長させるであろうし、黒糖焼酎の美味しさも、アップデートを繰り返して、年々美味しさを増す可能性を大いに感じることができた。
とても喜界島のことを熱心に思っておられる方で、喜界島に行った人は、喜禎社長には会っておくべきだと思う。
きっと、喜禎社長のことを、みんな好きになることだと思うからだ。
井内課長(いのうち)(仮)氏
事務の担当をこなす、朝日酒造のベテランの井内(いのうち)(仮)さんと話をさせていただいた。。
井内課長は、62才で、一見、大人しそうに見えるが、実は、行動派の人。
島の歴史に興味を持ち、なんでも、この地域の観光関係の団体の会長を務めているのだという。
代表の浩之がいないときには、この、井内さんが朝日酒造蔵の見学案内の担当を務めたりしているそうだ。
島のことはなんでも、井内さんに聞けば、島の歴史のことは何でも知っている。
井内さんは、例えば、喜界島には、昔は、砂浜もところどころにあったという話だが、何十年の歳月で、砂浜が少なくなってきたといったような、喜界島の、自然の変化についても詳しい人だ。
とても親切で礼儀正しい人で、イノウエよりも随分と年上にも関わらず、腰が低くて、とても丁寧な対応をしていただく方だ。
朝日酒造のこと以外にも、井内(仮)さんとお話する価値は十分すぎるぐらいにあると思う。
須山(すやま)(仮)氏
須山さんは、年齢は35~40才くらいの女性の方で、朝日酒造に勤務して、7年目だそうで、とても落ち着いて電話対応をしていただける方だ。
声がきれいな女性で、いつも電話口に出てくれるので、何度電話しても、気持ち良い対応を受けることができ、女性って華があっていいなと、いつも思ってしまう。
須山(仮)さんには、喜界島での食べ物や暮らしについて、お伺いした。
喜界島では、鹿児島の文化が入ってくるので、必然的に、甘醤油などの味付けになるのだという。
さらに、ざっくばらんに、映画などについても聞いてみたところ、喜界島で済むようになってからは、映画を見なくなったとのことである。
イノウエが島のことを質問すると、「あーははっ」と笑い声をあげられ、女性らしい愛嬌が、電話越しに伝わってくるようであった。
喜界島の人々は、刺々しさが一切感じられず、本当に素直で良い人ばかりだと思った。
須山(仮)さんは、事務系の仕事を全般的にこなし、経理はまた別の人がやっているようであった。
以上が、今回イノウエがインタビューさせていただいた人たちである。
これをお読みの読者さまも、喜界島に来ることがあれば、朝日酒造の工場見学は、必ず行くようにオススメする。
朝日酒造の実際の仕事の様子について
焼酎造りについて、一応、簡単に流れを記載しておこう。
焼酎を作る行程は、次の行程を経て、焼酎ができあがる。
原料、ここでは、黒糖、米を用意する。
例えば、朝日酒造代表銘柄である、「朝日」の場合は、沖縄産と喜界島産(朝日酒造産)の黒糖とタイ米を用意。
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次に原料の米から、麹を造る。
代表銘柄「朝日」の場合黒糖と米の比率は、1.6対1の比率で、用い、麹には白麹を使用する。
この麹を造る行程が一次仕込みと呼ばれる行程である。
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さらに銘柄によっては、黒糖などを追加するなどして、さらに10日間前後の発酵行程がある。
この行程が、2次仕込みと言われる行程だ。
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次の行程が蒸留と言われる行程になる。
焼酎は蒸留するからこそ、焼酎となるのであって、ここでもし、醪(もろみ)からお酒を絞ると、日本酒になったりする。
この、蒸留という行程で、黒糖にある、糖質が蒸発しないので、焼酎は、糖質が0の飲み物となる。
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次に、貯蔵・割り水という行程だ。
出来上がったばかりの原酒は、辛さが際立ったり、ツンツンしていたりと、かなり尖った製品となる。
そのため、通常は、製品を1年以上貯蔵したものを出荷する。
実は、焼酎は、何年も、寝かせれば寝かせるほど、まろやかな味わいになる。
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次に、貯蔵した原酒に割り水し、ビン詰めを行う。
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さらに、ビンにラベルを貼る。
↓
そして遂に、出荷となる。
このような行程を辿るのが焼酎造りである。
これらの行程を見ると、麹を一次仕込みをしたり、二次仕込みをしたりと、手の込んだ作業があったり、麹を育てたりと、手の込んだ行程があると、一般の人は思うはずである。
しかし、これらの行程で最も重労働となるのが、ビン詰めの作業なのだ。
意外にも、焼酎というお酒造りは、重労働の作業がかなり多いのだという。
米や黒糖を運ぶ作業。
サトウキビを手作業で刈り取りし、収穫したサトウキビを手作業で運ぶ。
麹を造る過程で、米や黒糖をタンクに詰め込む作業。
これらの中で、最も人出が必要となるのがビン詰めの作業なのである。
朝日酒造では、時と場合によっては、ビン詰めの作業を総動員で行う場合もあるそうだ。
現在では、製造の西野さん、佐野さんが、ビン詰めに回りながら、製造を兼任している。
製造の行程では、麹などを造る行程などがあるものの、製造そのものは機械が作業を行うことが多いため、人出はそんなにいらないと、いうことなのである。
お酒造りといえば、味の試行錯誤をしている杜氏の姿を思い浮かべる人が多いのではないか。
体を酷使して、丁寧に原材料などを扱って、作業を進めるからこそ、美味しい黒糖焼酎ができるのである。
イノウエは、黒糖焼酎の実際の造りの現場の話を聞いてみて、想像とは全く違う、酒造りの現場に衝撃的な驚きを覚えるのであった。
黒糖焼酎の原材料である黒糖について
黒糖というと、どのようなイメージを浮かべる人が多いのであろうか。
黒糖に含まれる養分は、ショ糖、ミネラル(ナトリウム、カリウム、カルシウム、マグネシウム、リン、鉄など)が豊富に含まれている。
さらに黒糖には、ビタミン(ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB6など)も含まれており、いわば、栄養素のデパートのような材料なのである。
そんな黒糖が、美味しい黒糖になるために、手作業が大事だということをご存知であろうか?
朝日酒造では、サトウキビの栽培も行っているが、このサトウキビは、有機栽培が行われており、無農薬・無化学肥料で栽培されている。
なぜ有機栽培にこだわるのかというと、それはとにかく、安全安心で美味しい黒糖を造りたいという、こだわりがあるからだ。
もし、サトウキビの収穫の際に、手作業ではなく、機械での刈り取りを行った場合、サトウキビの劣化が早く、直ぐに新鮮さが失われてくる。
新鮮さをあえて失わせてでもいいから、とにかく生産性だけを追及して生成されるものが、「ざらめ」という製品である。
「ざらめ」を製造している業者は、サトウキビの新鮮さというよりも、製品の生産性の方を優先して行うため、とにかくサトウキビを機械で刈り取りとり、細かく裁断してサトウキビを扱うのである。
だから、サトウキビの使用目的が「ざらめ」であれば、サトウキビの扱いに注力する必要などないのである。
しかし、これが、黒糖なら話は別だ。
黒糖は、サトウキビから絞り出る液体を固めたのが黒糖になる。
このとき、美味しい黒糖を生成するには、とにかく、サトウキビが新鮮であることが、美味しい黒糖を造るために必要になってくる。
そして、美味しい黒糖を造るためには、新鮮なサトウキビを維持する必要がある。
だから、朝日酒造では、美味しい黒糖を造るために、わざわざサトウキビの収穫を手作業で行うことにこだわっているのだ。
なぜなら、黒糖焼酎の原材料は、ザラメではなく、黒糖だからである。
つまり、美味しい黒糖焼酎を造るのに必要なのは、美味しい黒糖であることが条件なのだ。
朝日酒造の代表銘柄である、「朝日」は、沖縄産の黒糖と、喜界島産(朝日酒造産)の黒糖を混ぜて使用している。
そして、その味わいは、黒糖焼酎の基本とも言える、芳醇な味わいと、ピリッとした切れ味で後味をすっきりとした味わいになる。
そして、朝日酒造が誇る、この、オーガニック黒糖だけで造った銘柄が2つある。
「陽出る國の銘酒(ひいずるしまのせえ)」と「神喜の目醒め(しんきのめざめ)」という銘柄だ。
「陽出る國の銘酒(ひいずるしまのせえ)」は、朝日酒造が手作業、無農薬で手塩に掛けた黒糖のみで造った原酒を5年以上熟成してまろやかさを引き出した名品。
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さらに、「陽出る國の銘酒」を、10年から17年熟成させた原酒を2年以上樽熟成させたのが、「神喜の目醒め(しんきのめざめ)」になる。
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まさに、美味しさだけをとことん追及した、こだわりにこだわり抜いた、至極の一品だ。
朝日酒造では、美味しい黒糖焼酎を造り続けることにこだわり続けることが、蔵のお酒を飲んでくれたお客様への最大のおもてなしであるという理念がある。
「朝日酒造の製品の品質においては、とにかく味に、こだわり続けたい。」
朝日酒造における品質へのこだわりは、イノウエの想像をはるかに超えていた。
とにかく、イノウエにとって、驚きの連続であった。
朝日の銘柄名へのこだわり
朝日酒造が製造する黒糖焼酎は、太陽、朝日、夕日といった、太陽に関するこだわりを強く感じる。
また、喜界島を知ってほしいという思いもあり、島の特徴を象徴するような名前を製品に盛り込んでいる。
代表銘柄である「朝日」、はそのまま、蔵元のシンボルとなり、蔵元の名前も代表銘柄と同じく、「朝日酒造」になった。
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「壱乃醸 朝日(いちのじょうあさひ)」は、タイ米に黒麹造り、米の4倍の黒糖を使用して、香りとキレを演出することにより、ロック(冷系)で飲むことに適した銘柄に仕上がっている。
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また、「飛乃流 朝日(ひのりゅうあさひ)」は、国産米に白麹造り、低温発酵でじっくりと米の香りとキレを演出することにより、お湯割りで飲むことに適した銘柄に仕上がっている。
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他に、自家栽培のオーガニック栽培にこだわった、「陽出る國の銘酒」、「神喜の目醒め」も太陽、喜界島といったことを感じさせる名前になっている。
「南の島の貴婦人(みなみのしまのきふじん)」は、焼酎の初留取り(ハナタレ)といって、蒸留した最初に抽出できる部分を集めた、黒糖の香りが一番高く感じることができる製品ではある。
この「南の島の貴婦人」という名前は、喜界島に生息する蝶の、「オオゴマダラ」の別名である「南の島の貴婦人」を、そのまま製品の名前として使用している。
製品の銘柄名を付ける際に、製品の特徴などを銘柄に盛り込む場合が多い。
他にも、銘柄名の特徴として、その製品を使ったユーザーがどのような感情を持つのかを銘柄にするケースも多々ある。
銘柄名についていえば、あえて、島の特徴を製品の銘柄名に盛り込むのには、喜界島を愛する人々の島への思いを、お客様へ届けたいという強いこだわりがあるのだと感じられる。
とにかく、焼酎にはいろんな銘柄名が存在する。
銘柄名は、その銘柄を命名した、蔵元の、強い思いがある。
もし、この焼酎の銘柄が、なぜこのような銘柄なのかを気になったら、素直に蔵元に聞いてみると良いのではないかと思う。
そこには、少しでもお客様に喜んでもらいたいという、強い生産者の思い、そこで働いている従業員達の思い、そのような、いろいろな人たちの思いが、詰まっていることを、知ることができるようになるのだから。
「朝日」はバーベキューに最適!
これを読んでいる読者の皆様は、酒と料理とのペアリングについて、気になっている人も多いのではないかと思う。
黒糖焼酎「朝日」といえば、キリっとした少し辛口のキレのよい後味。
この、キレの良い辛口と、さっぱりとした後味が、肉との相性が抜群なのだ。
だから、冒頭でも述べた、「夕日を眺めて朝日を飲む」でもあったように、喜界島のきれいな夕日の景色を眺めて、美味しい酒を飲むというシチュエーションは、何とも贅沢な時間の過ごし方であろうか。
それに加え、バーベキューのお供に、黒糖焼酎「朝日」は、肉の旨味を受け流しながら、黒糖焼酎としての味も楽しむことができるという、最高の組み合わせ。
これを読んでいる読者様の近くに、喜界島の絶景は用意できなくても、自然な環境と「朝日」を用意するのは、そうそう難しいことではないのではないだろうか。
ぜひ、それぞれのご自宅の近くのバーベキュースポットなどで、バーベキューと「朝日」の組み合わせを味わっていただきたいものである。
朝日酒造は、黒糖焼酎を造り始めた最初の蔵元
朝日酒造は、黒糖焼酎を造り始めた最初の蔵元である。
もともと、泡盛を生産する、「喜禎康二商店」として創業した朝日酒造が、黒糖焼酎蔵として会社を運営するようになっていった背景には、島の生産品の中心である、サトウキビの存在があったに他ならない。
美味しい黒糖を造るには、サトウキビが新鮮な方が良くて、サトウキビの新鮮さを保つには、手作業で行うのが最も良い方法だということである。
このように、人が喜ぶような製品というものは、いちいち人が手間暇をかけて製造するからこそ、人が喜ぶような物ができあがるのだ。
もし、これら朝日酒造が製造している作業の一つ一つを、まともに時間換算して製品の値段に反映させていくと、もう、値段が付けられないほどに、値段が膨れ上がっていくことであろう。
ワインなどのブランド品というものは、そのように付加価値を乗せていくことで、一部の人々しか味わえない贅沢品となっていくのだ。
だから、もし、この朝日酒造の仕事に付加価値が付いてしまえば、普通では手に入らないような製品の値段になってしまう。
「朝日」を日常の食卓で飲めるのも、朝日酒造の従業員達が、このような仕事をこなしてくれているからこそ、美味しく飲むことができる。
朝日酒造の、製品を美味しくしたいという挑戦は、まだまだこれからも続いていく。
イノウエは改めて思った。
今日も「朝日」が最高に美味い!!
(完)※ここまで長きにわたり、ご愛読いただき、ありがとうございました。