黒糖焼酎蔵「天川酒造」をご紹介

徳之島の花徳にあるバス停の名前にもなっている黒糖焼酎蔵元「天川酒造」

2023年の現在で創業76年を迎える「天川酒造」は、徳之島の花徳(けどく)でバス停の名前にもなっている、歴史ある蔵元である。

そんな天川酒造には、この地域に沖縄よりサトウキビの優良品種を徳之島に持ち込み、その普及に貢献した功労者である乾純之介(いぬい・じゅんのすけ)氏の碑がある。

現在、天川酒造の代表を務める乾眞一郎(いぬい・しんいちろう)さんは天川酒造の3代目にあたり、2代目の乾辰朗(いぬい・たつろう)氏はプロのミュージシャンをされていたそうである。

そう、ここ徳之島でも、プロのミュージシャンを輩出するほどに、島の人々には音楽が愛されており、そして、黒糖焼酎が愛されてきた。

イノウエは、音楽とお酒を愛する人々と聞いただけで嬉しくなり、仲よくなるのに十分すぎる理由になると思っている。

何といっても、イノウエも音楽、クラシックからJPOPなど、幅広い音楽を愛した人間であり、ピアノやギターを演奏した経験もあるからだ。

イノウエが現在、最も愛しているお酒が黒糖焼酎なのであるが、もちろん、ウイスキーやワイン、日本酒やビールといったお酒をいろいろと飲んできたのである。

しかし、日本酒は高く、次の日に胸やけがしやすいのと、ワインの場合、有名銘柄は高く、安いワインを飲んでも楽しみという点では高級ワインを飲む必要性が出てくる。

また、ウイスキーは飲み方のバリエーションが少なく、ビールはお腹が出やすいといった欠点が。

イノウエがいろいろなお酒を飲んでたどり着いたのがコスパ最強の焼酎だったのであるが、その中でも美味しさで群を抜いていると思ったのが黒糖焼酎である。

そんな黒糖焼酎を70年以上も昔から歴史のある蔵元で造っている銘柄はどのようにして生まれてきたのであろうか?

「天川酒造」は現在、共同瓶詰会社である「奄美酒類(あまみしゅるい)」を構成する蔵元のうちの一つとなっている。

共同瓶詰会社とは、いつくかの焼酎の蔵元が原酒を持ち寄り、ブレンドして製品を出荷するという形態をとっている蔵元のことを言う。

天川酒造は、1965年に「奄美酒類」に組み入れられるまで、代表銘柄である黒糖焼酎「天川(あまかわ)」を製造していた。

「奄美酒類」を構成する蔵元は、中村酒造(なかむらしゅぞう)、高岡醸造(たかおかじょうぞう)、亀澤酒造場(かめざわしゅぞうじょう)、天川酒造(あまかわしゅぞう)の4つの蔵元になる。

現在、天川酒造で製造している単独銘柄というのは存在しないが、「奄美酒類」では、上の4つの蔵元のブレンド酒で造られた黒糖焼酎が出荷されている。

この記事では、「奄美酒類」を構成する蔵元の一つである、天川酒造について、ご紹介していこうと思う。

徳之島ってどんな島なの?

みなさんは、徳之島(とくのしま)をご存知だろうか?

ここでは、徳之島のことを以下に簡単に解説させていただこうかと思う。

ただ、徳之島についての詳しい内容については、別の記事でガッツリと紹介記事を作成しているので、ここでは、簡単な紹介だけにとどめておこうかと思う。

徳之島は、奄美大島の最南端にある与路島と沖永良部島との間にある奄美諸島の中では、奄美大島の次に大きく、人口の多い島である。

実は、徳之島と沖永良部島では、ここの島を境に、沖縄色と鹿児島色の境目となっている。

徳之島は、奄美諸島の中でも闘牛の文化が残っていることや、トライアスロンが盛んであったり、島としての魅力を語るには話題に事欠かない島である。

そして、徳之島では、何といっても壮大な自然があり、2021年7月26日には、世界自然遺産登録された、最も注目すべき島だと言える。

徳之島にも徳之島空港があり、最短で移動する方法ではあるが、最安値で行くには、那覇か奄美大島からフェリーを利用するのが最安値となっている。

ここでは、徳之島の中でも、奄美酒類周辺の観光スポットについて、いくつか簡単にご紹介していきたいと思う。

天川酒造株式会社

天川酒造は、徳之島の天城町の西側にある、共同瓶詰会社 奄美酒類を構成する蔵元の一つである。

奄美酒類を構成する蔵元は、「中村酒造(なかむらしゅぞう)」「高岡醸造(たかおかじょうぞう)」「亀澤酒造場(かめざわしゅぞうじょう)」「天川酒造(あまかわしゅぞう)」の4つの蔵元で構成されている。

天川酒造へのアクセスについては、徳之島空港からバスで28分ほどで、アクセスすることができる。

天川酒造は常圧蒸留製法のみで黒糖焼酎を製造していて蔵の見学も事前予約で受け付けているようなので、興味のある人は見に行くといいだろう。

金見崎ソテツトンネル

金見崎ソテツトンネルは、ソテツの群生でできた、約200mにわたるトンネル状のアーチである。

トンネルを抜けた先にある展望台からは、釣りやダイビングのメッカであるトンバラ岩や、遠くは奄美大島本島まで見渡すことができる。

ここでは、梅雨明けが近づく新月の夜は、近隣の海岸ではオカヤドカリの産卵が行われる。

東又泉(あがりまたいじゅん)

島内隋一の美味しい水といえば、東又泉が有名である。

徳之島 天城町当部(とうべ)にある東又泉(あがりまたいじゅん)は、島内隋一の湧き水が汲める場所として知られている。

その水は、現在も生活用水や飲料水として活用されている。

東又泉の水の美しさは、薩摩藩時代から有名で、代官が亀津からわざわざ水を取り寄せるほどだったという。

畦プリンスビーチ海浜公園

畦(あぜ)プリンスビーチ海浜公園は、青い海と白い浜!「奄美群島国立公園」にも指定された美しいビーチとして知られている。

昭和47年、当時の皇太子殿下と美智子妃殿下が訪れたことから「プリンスビーチ」と名付けられた。

約1.5キロ続く真っ白なビーチと、水平線が見渡せるコバルトブルーの海が広がっている。

更衣室、シャワー室、トイレも完備しているので、着替える場所に困ることなく、安心して遊ぶことができる。

手々浜海浜公園

手々浜海浜公園(ててばまかいひんこうえん)は、徳之島町の中でも特に北の部分にある。

天城町との境界も近く、心行くまで緑と海を楽しむことができる海浜公園である。

ここでは、駐車場やトイレシャワー、キャンプ場などが備えられており、事前予約をすることでキャンプやBBQを楽しむことができる。

海岸一帯にはソテツやイヌマキなどの樹木が生えそろっている。

また、海の向こうにトンバラ岩や与路島、請島を眺めることもできる。

天川酒造の歴史について

ここでは、天川酒造のこれまでの生い立ちについて、述べて行こうと思う。

※ 本内容については、かなりの内容を、「あまみの甘み あまみの香り」鯨本あつこ・石原みどり 著から引用しています。

天川酒造の創業は、昭和22(1947)年に徳之島町・花徳(けどく)に乾純之助(いぬい・じゅんのすけ)氏によって創業された。

乾純之助氏は酒造の傍らサトウキビの優良品種を徳之島に導入し、その普及に尽力した功労者でもある。

この、天川酒造のある、徳之島の北東に位置する徳之島・花徳には、その名も「天川酒造」というバス停があり、そのバス停の並びにあるサトウキビ畑の一角には、「乾純之助氏の碑」がある。

台湾や沖縄の八重山諸島で製糖業に携わった純之助氏は、太平洋戦争の配線後、アメリカ軍政下となった徳之島へ戻り、地元の花徳で天川酒造を創業した。

天川酒造創業時の代表銘柄は、南島の夜空に美しく輝く天の川に因んで「天川(あまかわ)」と名付けられた。

純之助氏が天川酒造を創業して10年後、奄美群島の日本復帰から4年後にあたる昭和32(1957)年、純之助氏は台風に強いサトウキビ「NCO310号」の種苗を当時の琉球農事試験場より譲り受けた。

純之助氏は、その苗をもとに、自前の畑で苗を増やして農家への無償配布を5年間続け、原野を開梱して農地拡大に取り組んだ。

サトウキビから造られる含蜜(がんみつ)糖(黒糖)は、黒糖焼酎の生産に欠かせないものだったのだ。

そこで、氏は昭和35(1960)年に「大和製糖(だいわせいとう)」を興し、黒糖の生産にも乗り出すことになった。

しかし、間もなくして、白砂糖の原料となる分蜜(ぶんみつ)糖の生産を奨励する国策により、含蜜糖の島内生産は時流に沿わないものとなってしまう。

そして、わずか5年で大和製糖の事業は幕を引くことになった。

そんな純之助氏のお孫さんにあたるのが、2023年現在で現代表を務める三代目の乾眞一郎(いぬい・しんいちろう)さんである。

酒蔵を継ぐ前はミュージシャンをしていた二代目の乾辰朗(いぬい・たつろう)氏の職業柄の影響で、息子の眞一郎さんの生まれ育ちは東京であった。

そんな東京育ちの眞一郎さんは、東京農業大学醸造学科で醗酵学の権威である小泉武夫(こいずみ・たけお)氏に師事する。

眞一郎さんは20代のとき、酒類の問屋や奄美酒類東京出張所で営業の腕を磨き、その後、30代で蔵を継ぐことになった。

天川酒造の焼酎造りの特徴について

ここからは、2023年現在における、天川酒造における、焼酎造りの特徴について、述べていこうと思う。

天川酒造では、焼酎造りに使用する黒糖と米の比は、約1.8対1で製造されている。

仕込み水に使うのは、井之川岳水系の硬水で、豊富なミネラル分が発酵を助けてくれるとのこと。

麹(こうじ)はタイ米に白麹造りで製造されている。

天川酒造で使用される原料の黒糖は、沖縄産をメインに、不足する分をボリビア産など外国糖で補うこともあるとのこと。

仕込みタンクは中村酒造や亀澤酒造場と同じFRP製で、一次仕込みした同じタンクに黒糖を加えていく「スッポン仕込み」で使用されている。

天川酒造では、黒糖は2回に分けて仕込んでいく。

蒸留方式は、常圧蒸留のみで行われる。

原酒はホーロー製の貯蔵タンクで約3ヶ月貯蔵され、貯蔵中は10日に1回程度タンクにのぼって原酒の表面に浮いてくる油脂分を取り除いていく。

タンク上部の穴は小さく、蔵の中は暗いため、電球で光を充てながらうちわであおいで油脂分を手元に集めて、布フィルターをかけた網で、油脂をすくい取る工夫をしているとのことである。

黒糖焼酎を造る際にポイントとなるのは、蒸留したあとのお酒から脂分や油分といった、不純物を取り除く作業で、この作業は手作業になる。

不純物を残したままで貯蔵すると、貯蔵している間に不純物が焼酎に溶け込んでしまい、美味しくなくなってしまうのだそうだ。

だから、この不純分を取り除く作業を丁寧にすればするほど、美味しい黒糖焼酎が出来上がるということである。

また、美味しい黒糖焼酎を造るには、貯蔵期間を3年以上といった、一定の期間をおいて熟成させることにより、味わい深く、まろやかな黒糖焼酎が出来上がるのである。

美味しい黒糖焼酎を造るためには、随分と手間と時間がかかるものなのだと感じた。

徳之島の闘牛の歴史を簡単にご紹介

徳之島といえば、闘牛場の島である。

奄美における闘牛の歴史は、約400年前に薩摩藩の支配下に置かれた頃から行われていたとされている。

1747年、薩摩藩の直轄されることとなった奄美群島では、年貢を米に代えて黒糖で納めることとされ、サトウキビの栽培が優先された結果となった。

その結果、島民は日常の食料にも事欠くこととなり、その状況は「黒糖地獄」と呼ばれた。

そのような中、徳之島での闘牛は、サトウキビ生産が厳しく統制される「砂糖地獄」に苦しめられた島民唯一の娯楽だったと言い伝えられている。

闘牛大会は戦前まで、牛主同士が相談し合い、島の行事が行われる際に川原や浜などに闘牛場を作り行っていた。

そんな徳之島の人々にとっては、闘牛は島民の生活の一部となっており、島の人々にとって、気っても切り離せない行事となっている。

そんな徳之島の闘牛の中でも、特に盛り上がるのが、全島大会と呼ばれる、徳之島の島内で一番を決める争いだ。

大会は、初場所(1月)・春場所(5月)・秋場所(10月)の年3回で6場所の「全島大会」が開催され、徳之島、天城、伊仙の各町の協会が持ち回りで主催する。

また、全島大会と前後した日やお盆には、牛主同士が出資して各地の闘牛場で闘牛大会が行われている。

徳之島では、全島大会以外でも、各地で闘牛が行われたり、稽古が行われたりと島のあちこちで闘牛を見ることができる。

しかし、徳之島に来たからと言って必ず見られるということではないので、徳之島に訪れて闘牛を見たいと思ったら、事前にチェックしたほうがよいとのことだ。

あなたも、徳之島で新たな興奮を闘牛に求めてみてはいかがだろうか?

奄美酒類の具体的な製品をご紹介

ここでは、奄美酒類が製造する、代表的な黒糖焼酎の銘柄のうち、いつくかの銘柄について、紹介していこうと思う。

「奄美(あまみ)」

度数:30度

蒸留方式:常圧蒸留

黒糖焼酎「奄美」はこれまでにご紹介してきたとおり、白麹仕込み、常圧蒸留で製造された4つの蔵元の原酒のブレンド酒である。

もともとブレンド酒というのは、味わいをまろやかにするためにするものであるが、各蔵元の原酒の味わいの主張が激しいのか、複雑な味わいのする面白いお酒となっている。

このブレンド酒の味わいというのが、重厚な味わいとなって表現されているので、ブレンド酒ならではの味わいが楽しめるのである。

この、複雑とも重厚とも言える「奄美」の味わいが何とも面白い味わいで、少しパンチの効いた黒糖焼酎が楽しめるといった印象がある。

特別に甘いということではないのに不思議なパンチ力。

この、重厚な味わいが、「奄美」が美味しいと感じる所以である。

「奄美5年古酒」

度数:40度

蒸留方式:常圧蒸留

「奄美5年古酒」専用タンクで5年以上貯蔵した古酒なのである。

長期貯蔵したお酒はとても味わい深く、まろやかな飲み口になるのが特徴で、とても飲みやすいお酒であるのと同時に、芳醇な甘みを感じることができる。

古酒には独特の深い味わいというものがあり、もともとのブレンド酒の味わいが、よりまろやかで飲みやすいお酒が味わえる。

筆者もいろいろと黒糖焼酎を飲んではいるが、やはり古酒は美味しいのである。

ぜひ、古酒の味わいを楽しんでみていただきたい。

「牛神(うしがみ)」

度数:25度

蒸留方式:常圧蒸留

何といっても、黒麹で黒糖焼酎を製造するあたり、黒糖の特徴をどこまでも表現しようとして、さらに、長期熟成させることで、お酒の持つ味わいをまろやかで深みのある味わいにすることができる。

「牛神」という名前からも、飲みやすさよりも男の渋みみたいなものを表現したいという印象を受ける。

このお酒は単に甘いだけでなく、ロックにするとビターに、水割りにすると辛味を感じることができ、飲み方で味わいの違う、とても面白い印象のお酒である。

このお酒、私の近くのスーパーでたまたま手に入ったのである、イオン系列で販売されているようなので、お近くのイオンで探してみてはいかがだろうか。

徳之島で70年以上も歴史のある奄美黒糖焼酎の蔵元に感動

ここまで、天川酒造について、記載させていただいた。

天川酒造の乾眞一郎社長の御父上である乾辰朗さんが元プロのミューシャンであるように、徳之島では、昔から音楽とお酒を楽しむ人たちばかりである。

イノウエが徳之島の蔵元を調べるにあたって思うことは、徳之島は島の行事が本当に魅力的で訪れるべき島だということだ。

皆さんもご存知のとおり、2021年の世界自然遺産に沖縄や奄美大島といった地域が登録されたのであるが、ここ徳之島も登録地となっているところがポイントだと言える。

イノウエの印象として、闘牛が盛んな徳之島だから、黒糖焼酎のクセの強い銘柄ばかりだと想像していたのであるが、どちらかといえば、優しい味わいが多いように思った。

徳之島に限らずなのだが、最近では女性が焼酎を好んで飲むことが増えたそうで、それに合わせて20度などの度数の低いものや、すっきりとした味わいの黒糖焼酎が増えたとのことである。

イノウエが思うに、もし女性に最もオススメの焼酎が何かと聞かれたら、問答無用で、黒糖焼酎が一番だと答える。

なぜなら、黒糖焼酎があらゆる焼酎の中で、最も飲みやすく、甘くて女性好みにぴったりだと思うからだ。

そんな徳之島で70年以上も歴史を持つ天川酒造が製造する黒糖焼酎は、まさに名人が造る美味しい黒糖焼酎である。

今は、天川酒造の代表銘柄である「天川」は飲めなくなってしまったのであるが、奄美酒類の黒糖焼酎は本当にたくさんの種類の商品があるので、イノウエにとっても、まだまだ楽しみがある。

イオンモールでたまたま見つけた黒糖焼酎「牛神」は、奄美酒類がイオンだけに販売しているオリジナル銘柄のようで、イオンモールのどこでも手に入る銘柄のようだ

イノウエは、その「牛神」の何とも言えないビターな味わいのロックを飲みながら、You tubeを楽しんでいた。

イノウエは思った。

「やっぱり奄美酒類のブレンド酒は幅の広い甘さが最高の味わいだ!」

今回の記事は以上になります。

ここまで読み進めていただき、ありがとうございました。

最新情報をチェックしよう!
>黒糖焼酎奄美の奇跡

黒糖焼酎奄美の奇跡

このサイトを通じて少しでも多くの人が黒糖焼酎及び奄美大島を好きになっていただけるよう、全力で魅力を伝えていきます。

CTR IMG