黒糖焼酎の歴史
黒糖焼酎のざっくりとした歴史を、わかりやすく、簡単な表まとめました。
時代背景 | 黒糖焼酎製造に関する、主な出来事 |
江戸時代 | 奄美大島に遠島となった名越左源太(なごやさげんた)によって書かれた『南島雑話』に鹿児島での焼酎作りが記録。この頃からサトウキビを原料にした、黒糖酒が作られていたと記述されていた。しかし、サトウキビは全て年貢に収める必要があり、基本的には、サトウキビによる焼酎作りは禁止されていた |
明治時代 | 自家製の黒糖焼酎が奄美群島各地で造られる。 |
大正時代 | 1916年に喜界島で喜禎酒造所(現朝日酒造)が開業。 1922年に奄美大島の名瀬村で弥生焼酎醸造所が開業。 この頃から販売を目的とした蒸留酒の製造が本格化する。 |
昭和時代 | 第二次世界大戦の影響で喜界島の蔵元が壊滅する。 1945年の敗戦後、奄美大島群島はアメリカ合衆国の統治下に置かれる。 1953年12月25日の奄美群島本土復帰によって、日本の法体系が適用される。 黒糖を使った蒸留酒はラム酒と同じスピリッツに属し、約3割高い税額扱いとなる。 1954年5月、黒糖を原料にした乙類焼酎の製造が可能となり、さらに1959年12月25日に国税庁が基本通達を出し、大島税務署の所管する奄美群島でのみ米麹の使用を条件に認められることとなった。 |
平成時代 | 2007年、東京農業大学の小泉武夫教授の提案で、5月9日と10日が「こくとう」の語呂合わせで奄美黒糖焼酎の日となる。 |