
「美食の島」からコスパ最強のブレンド酒の奄美黒糖焼酎「えらぶ」
皆さんは、お酒のブレンド酒というと、どういう味わいを想像するであろうか?
通常、お酒をブレンドさせる目的は、偏った、あるいは尖った味わいを、よりまろやかにして、複雑な味わいにすることにより、奥が深くて飲みやすいお酒となるのが特徴である。
焼酎の世界にも、蔵元独自で製造したいろいろな種類のお酒をブレンドして、新しい商品を出したりするもので、ブレンドする種類が多ければ多いほど、より深みのある味わいが楽しめるというものである。
しかしもし、ブレンドするお酒が、いくつかの蔵元のお酒をブレンドして作るとなると、少々コストがかかって当然だと容易に想像がつくのではないだろうか?
そもそも、お酒を製造している環境というのは、同じ地域、いや、同じ島内によっても、建物の造りや日の当たり方、方位など、いろいろな条件ごとに、お酒の味わいは全く別の味わいになるのだ。
鹿児島県にある焼酎の蔵元には、4つの共同瓶詰会社というのがあって、共同瓶詰会社とは言わば、違う蔵元で製造した焼酎を一つの銘柄としてブレンドして販売するお酒の形態を言う。
そして、鹿児島県の中にある4つの共同瓶詰会社の中で、2つの共同瓶詰会社が奄美群島にあるのだ。
その、奄美群島の中の2つの共同瓶詰会社のうちの一つが、「沖永良部酒造(おきのえらぶしゅぞう)」である。
沖永良部酒造を構成する蔵元は、沖永良部酒造 内東蔵(うちひがぐら)(旧德田酒造)、沖酒造(おきしゅぞう)、竿田酒造(さおだしゅぞう)、神崎産業(かんざきさんぎょう)の4つの蔵元から構成されている。

この4つの蔵元のうち、沖酒造、竿田酒造、神崎産業の3社の蔵元の原酒でブレンドされたお酒が、奄美黒糖焼酎「古酒 白ゆり」と「えらぶ」である。
「えらぶ」は、3社のブレンド酒と思えないほどに、コスパ抜群のお酒だと言える。
何といっても「えらぶ」は、ブレンダーである、沖永良部酒造の村山工場長の腕前は確かで、絶妙な割合でブレンドされており、ブレンド酒らしく、飲みやすくてパンチの効いた銘酒となっている。
奄美黒糖焼酎「えらぶ」は度数30度に対し、「古酒 白ゆり」は、度数40度と、少々高めの度数になっている。
奄美黒糖焼酎がお好きな人はお気づきの人もいるのかも知れないが、一般的に、奄美黒糖焼酎は、度数30度で飲まれるのが一般的であって、日本本土で一般的な25度の度数に比べて少々高めの度数となっている。
一般的にお酒の量販店などで、値段とともに、他のお酒との比較要素に、アルコール度数という比較方法がある。
当たり前の話なのであるが、度数が高いお酒ほど、値段が高くなるのであるが、単に、それだけではなく、
度数を高くしても飲んで美味しいと思っていただける自信作ということがある。
イノウエが、これまで何社かの蔵元にインタビューをしてきて、新しく発見した蔵元の製造に携わる人たちが好むお酒というのが、これまた通のお酒といった感じなのである。
イノウエが思ったよりも、濃くてパンチの効いた、あるいは度数の高いお酒を、YouTubeの動画などで宣伝している人が多いのに気が付いた。
これまで奄美黒糖焼酎を20年以上、飲み続けてきたイノウエであったが、蔵元の人がオススメする度数の高くてパンチの効いた奄美黒糖焼酎を改めて感じたとき、負けたと思った。
イノウエがもっと若かった頃は、度数の高いお酒をバンバン好んで飲んでいたのであるが、最近では、40度のお酒を多く飲めなくなってしまった。
皆さん、沖永良部島では、根っからのお酒好きが多いような印象をイノウエは持つことができたので、お酒好きならば、沖永良部島は訪れるべき島である。

みなさんは、沖永良部島(おきのえらぶじま)をご存知だろうか?
ここでは、沖永良部島について、特に、竿田酒造の近くの情報についてついて、以下に簡単に解説させていただこうかと思う。
まず、沖永良部島は、奄美群島の中でも、南に位置する島で、徳之島(とくのしま)と与論島(よろんとう)の間に位置する。
沖永良部島の市町村と言えば、和泊町と知名町の2つの町から成り立ち、竿田酒造が位置するのも、沖永良部島の上の方の和泊町になる。
和泊町には、島の玄関である、沖永良部空港などがあったり、スーパーなどがあったりと、島の中心的な役割を果たすインフラがかなり整っている。
しかしそんな沖永良部島の和泊町にも、いまだ手つかずの自然がたくさんあるという話で、いわば、沖永良部島は、本当に「秘境の楽園」だと言えるのだ。
そして、奄美諸島の中でも、「美食の島」と言われるのも、沖永良部島で、全体的に島の料理は、沖縄色が強い、薄味で構成されているのだという。
沖永良部島にも空港である、沖永良部空港があり、沖永良部島への飛行機でのアクセスは、鹿児島・奄美大島・沖縄から毎日就航している。
ここでは、沖永良部島の中でも、沖永良部酒造周辺の観光スポットについて、いくつか簡単にご紹介していきたいと思う。
有限会社竿田酒造

竿田酒造は、沖永良部島の和泊町の最北部にある蔵元である。
沖永良部酒造を構成する蔵元は、「徳田酒造(とくだしゅぞう)」「沖酒造(おきしゅぞう)」「竿田酒造(さおたしゅぞう)」「神崎産業(かんざきさんぎょう)」の4つの蔵元で構成されている。
竿田酒造へのアクセスは、沖永良部空港から車で10分ほど、路線バスで10分ほどの距離で、アクセスすることができる。
竿田酒造では、焼酎の造りの時期である、1月~3月の間だけ、工場見学を受け付けているようなので、沖永良部島を訪問する予定のある人は、事前に連絡をしてから訪問すると良いだろう。
現在は代表の石原純子(いしはら・じゅんこ)さんと、夫の茂廣(しげひろ)さんの2人で、奄美黒糖焼酎を製造しているということなので、焼酎に興味のある人は、見学をお願いしてみるのもいいと思う。
日本一のガジュマル

沖永良部島の北の端に、国頭岬(くにがみみさき)という、岬があり、集落の中心地に国頭小学校(くにがみしょうがっこう)がある。
その校庭には、明治31年に卒業した第1回卒業生達が植えた木が、「日本一のガジュマル」とよばれており、今も元気である。
「日本一のガジュマル」は、富士山のような美しいガジュマルで、小学校の校庭に大きく枝を広げている。
国頭小学校が開放されているときに見ることができるので、事前に小学校の開放について、調べてから訪れてみよう。
フーチャ(潮吹き洞窟)

フーチャとは「潮吹き上げ洞窟」を意味する島の呼び名で、海岸線付近の断崖には隆起サンゴ礁が荒波で浸食されてできた縦穴型の洞窟が口を広げている。
フーチャは、沖永良部島北海岸特有の切り立った断崖絶壁と、無数のとげのような岩場が広がっている。
フーチャでは、独特の荒涼感ある地形が特徴的で、とても入り組んだ断崖絶壁で迫力のある地形となっている。
また、フーチャ付近の海中にはアオウミガメが食用として好む海藻が多く生えており、陸上から間近に遊泳中のウミガメを観測できるスポットでもある。
ビシの浜

ビシの浜は、沖永良部島の北東にある、国頭(くにがみ)にある、コンクリート石畳のある砂浜である。
ビシの浜は、古港であったらしい。
ここの海は、なだらかな波で、浜までの道程と広い砂浜は港に適していたのだろう。
ビシの浜には次のようないい伝えがある。
浜で石を枕に昼寝していた漁師に、石が語りかけた。
「明日は豊漁になるから、船を出せ」
それを信じて漁に出たら、まさに豊漁だった。
そこで、人々はこの石を神と崇め、集落の守護神としたのだという。
このときに造られたのが、岬神社で、今はビシノ浜を望む丘の上に祭られている。
以来、国頭集落(くにがみしゅうらく)は栄えた集落となったとのこと。
竿田酒造の歴史について

ここで、竿田酒造のこれまでの生い立ちについて、述べて行こうと思う。
※ 本内容については、かなりの内容を、「あまみの甘み あまみの香り」鯨本あつこ・石原みどり 著から引用しています。
竿田酒造の創業は、昭和26(1951)年になる。
竿田酒造は、ユリの仲買人や大島紬の親方業などをしていた竿田吉秀(さおだ・よしひで)氏と妻のトヨ氏が和泊町・国頭(くにがみ)の現在地で甕仕込みの泡盛「初泉(はついずみ)」を造りはじめた。
昭和44(1969)年に酒類共同瓶詰販売会社の沖永良部酒造が設立され、製造と瓶詰め販売が分業され、島内の各蔵が製造した原酒を同社の共同瓶詰場でブレンドして製造することになった。
このときの共同瓶詰会社として統一銘柄「えらぶ」として発売することになり、竿田酒造は、同社への加盟に伴い自社銘柄「初泉」は廃止されることになった。
現代表兼杜氏(とうじ)の石原純子(いしはら・じゅんこ)さん(旧姓・竿田)は、竿田酒造の娘として子どもの頃から蔵に出入りして育ったとのことである。
当時は、空になった焼酎瓶を回収して蔵で洗い、再度、瓶詰してリサイクルをしていた。
純子さんは、2つ上のお姉さんと島内をリヤカーを引いてまわり、販売店を回って、、焼酎の空瓶を回収し、瓶を洗って再利用するという行程が、純子さんと姉の姉妹の仕事であったということである。

純子さんは、東京の短大を卒業して、東京にあって外資系金融機関である、アメリカシティバンクで勤め、ご結婚を機に、帰郷したということである。
そして、石原純子さんは、創業者であるお父様や杜氏について、焼酎の造りを手伝い、平成5(1993)年に蔵の経営を引き継いだ。
現在は、夫婦二人で協力して焼酎を造っているということで、純子さんが麹までを担当し、仕込みから後の作業は、夫である茂廣さんが担当して焼酎造りを行っているということである。
焼酎造りに関して、昔はタンクなどを用いて、手作業で行っていた。
その後、沖酒造と共同で、ドラム式全自動製麹機(さいきくき)を購入し、それ以降は、沖酒造の沖充さん、沖裕子さんご夫婦と、共同作業で麹造りを行っている。
竿田酒造の焼酎造りの特徴について

ここからは、2023年現在における、竿田酒造における、焼酎造りの特徴について、述べていこうと思う。
竿田酒造における、黒糖焼酎の造りの時期は、毎年行われており、1月から3月に集中して行っている。
イノウエが、竿田酒造の石原純子代表に、奄美黒糖焼酎の造りで特に注意すべき点を尋ねると、「いくらでもあります。キリがないほどあります。」という返答をいただいた。
焼酎造りというのは、イノウエが想像していたよりも、決まったレシピを造りにくい、もっと大雑把に言えば、少しの変化で、味がすぐに変わってしまうということだ。
純子さんによると、造りの際に、真っ先に注意すべき点は、温度管理と湿度管理だということである。
純子さんが麹を造る際に、例えば、夜中に麹の様子を見に行くことは、現在でも普通にしょっちゅうあるということで、経験の大小に関係なく、麹の面倒を見るという作業は日常的なことだと言う。
イノウエが想像していた奄美黒糖焼酎の造りのポイントというのは、配合だとか、時間だとか、物理的なパラメーターがメインだと想像していた。

しかし、実際の焼酎の造りのポイントというには、例えば、毎日気候が変化するたびに、お酒の造りも変える必要があるということなのである。
つまり、お酒の味を変化させる要因というのは、人間が管理しきれないほどに無限な要素というものがあり、同じ銘柄の味をキープし続けるという作業は、神がかり的に難しい作業だということなのだ。
また、2次仕込みで黒糖を麹に入れる工程などで、沖永良部酒造の共同瓶詰で統一されている手法に、黒糖をブロックごと入れるということは、竿田酒造でも用いられている。
石原純子さんは、奄美諸島の奄美黒糖焼酎の作り方の講習会などにも何度か参加したことがあるということで、そこでも新しい発見があったということである。
純子さんによると、奄美黒糖焼酎の場合、黒糖の割合が多すぎると、奄美黒糖焼酎は辛くなるという話である。
黒糖が甘いから、黒糖をどんどんと増やせば奄美黒糖焼酎は比例して甘くなるというのは、どうも幻想のようで、米と黒糖の絶妙な割合が、黒糖の芳醇な香りと味を引き出すということのようである。
インタビューに応じていただいた人たち

今回、イノウエの取材でインタビューに応じていただいた人について、記載していこうと思う。
代表取締役社長 石原 純子(いしはら・じゅんこ)氏
今回、竿田酒造の代表取締役兼、杜氏を勤めている、石原純子さんにインタビューをすることができたのは、イノウエにとって、とても幸運なことであった。
イノウエが、神崎産業の代表である、神崎ハツエさんとお話したあとに、石原純子さんにお話しさせていただいたことで、第一印象的に感じたのが、石原純子さんはとても若い方だと感じた。
もちろん、竿田酒造が創業した当時に、石原純子さんは、子供の頃だったということなので、イノウエがお話した第一声から、現役バリバリの印象を強く感じた。
石原純子さんに、沖永良部島での、奄美黒糖焼酎の好みについて、聞いてみた。
イノウエの印象的に、沖永良部島では、特にパンチの効いた、奄美黒糖焼酎が好まれているという印象である。
つまり、沖永良部島では、特に黒糖の風味が強く、さらに度数の強い、奄美黒糖焼酎が好まれているということを確かめるべく、石原純子さんに、訪ねてみた。
純子さんによると、「島にはそういう黒糖焼酎しかなかったもんですから。」
イノウエ「沖永良部島では、女性も、パンチの効いた、味が濃くて、度数の強い黒糖焼酎を飲んできたのですか?」
純子さん「まあ、そういうことかも知れませんね。
そのあたりは個人の好みで、いろいろな焼酎も島では飲めるようになったので、いろいろな焼酎やお酒を、女性もいろいろと飲んでるのではないでしょうか?」
つまり、沖永良部島では、男性も女性も、明らかに飲兵衛の多い島だと、確信した。
何て素晴らしい、島なんだろう!
だからみんな、お酒を仲よく飲んで、皆で会話を積極的にするからこそ、島全体が家族ような雰囲気をずっと維持することができるんだ。
竿田酒造のお酒がブレンドされている具体的な製品をご紹介

ここでは、沖永良部酒造が製造する、代表的な黒糖焼酎の銘柄のうち、竿田酒造が携わっている銘柄について、紹介していこうと思う。
「古酒 白ゆり」

度数:40度
蒸留方式:常圧蒸留
沖永良部酒造でも紹介させていただいたのであるが、「古酒 白ゆり」は、本当に銘酒中の銘酒である。
石原純子さんの話によると、「古酒 白ゆり」は、日本本土で言うと、関東よりも北側である、関東や東北地方で好まれる傾向にあるということである。
関東より北側といえば、冬が寒い地域でかつ、味の濃い料理を好むイメージがあり、度数の濃い「古酒 白ゆり」を好むのも当然だという印象がある。
しかし、他にも意外な事実が。
実は、アルコールに強い都道府県ランキングに、東北と沖縄の人の遺伝子が、日本の上位10位に多くランキングされているという事実が。
アルコールに強い遺伝子を持っている、都道府県ランキングで、沖縄県以外の地域が、1位の青森県を筆頭に、10位以内に全て、関東よりも北側の県に集中しているという事実があったのだ。
それはさておき、他の蔵元でもご紹介させていただいたのであるが、「古酒 白ゆり」の特徴について、紹介させていだだこう。
「古酒 白ゆり」は、沖酒造、竿田酒造、神崎産業の3社の蔵元の原酒でブレンド酒となっている。
そして、「古酒 白ゆり」は、各蔵元で3年以上の貯蔵期間を経たあと、3か月~半年くらい、樫樽に貯蔵して、商品化されている。
そして、「古酒 白ゆり」の味わいは、ブレンド酒らしく、芳醇でとても味わい深いのであるが、何といっても、花の蜜の香りと味わいが特徴のお酒である。
「古酒 白ゆり」は、40度のお酒なのであるが、言ってみれば、これはウイスキーやブランデーの代わりに飲むことができるお酒である。
そして、他ではあまり述べられていない味わいの特徴に、あらゆる飲み方で、美味しいと思える、万能のお酒であるということ。
「古酒 白ゆり」は、は、ロック、水割り、お湯割り、ミルク割り、ソーダ割りなど、どの飲み方でも美味しく飲める、万能なお酒である。
あなたも、高級なブランデーを購入することを想像してみてほしい。
ブランデーは飲みやすいということを期待して購入するお酒ではないだろうか。
「古酒 白ゆり」は、飲みやすさに加え、花の蜜のような、黒糖の芳醇な甘さを味わうことができるのだ。
もし、ブランデーで美味しい銘柄を探している人がいたら、一度は「古酒 白ゆり」を試していただいきたいものである。
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「えらぶ」

度数:30度
蒸留方式:常圧蒸留
奄美黒糖焼酎「えらぶ」も、「古酒 白ゆり」と並ぶ、沖酒造、竿田酒造、神崎産業の3つの蔵元のブレンド酒である。
奄美黒糖焼酎「えらぶ」の最大の特徴は、コスパ最強のブレンド酒だということである。
何といっても、「えらぶ」は、沖酒造、竿田酒造、神崎産業の3社のブレンド酒なのに、他の蔵元の単独銘柄と、同じレベルの販売価格で売られている。
さらに言うと、「えらぶ」は、常圧蒸留という、昔ながらの、手のかかったお酒であり、度数も30度であり、しかも、ブレンドされた原酒が全て、3年以上の貯蔵酒だということ。
「えらぶ」は「古酒 白ゆり」と違って、樽貯蔵されていない奄美黒糖焼酎で、甕貯蔵酒のブレンド酒ということが特徴のお酒ということになる。
ここで、焼酎の好みとして、樽貯蔵ではなく、甕貯蔵が好みだという人が、かなり多いのである。
イノウエ的にも、焼酎の基本は、甕貯蔵の焼酎が基本ということもあり、樽貯蔵酒という付加価値の付いた「古酒 白ゆり」よりも、甕貯蔵酒の「えらぶ」を好む人も多くいるのではないかと思う。
「えらぶ」のもう一つの特徴としては、沖永良部酒造の杜氏である村山さんの、ブレンダーとして超一流のブレンド酒として出来上がったのが「えらぶ」なのである。
その味わいは、ブレンド酒ならではの、黒糖の芳醇な奥行きの深い、甘い味わいと香り。
奄美諸島の中でも、人による手間暇が特にかかった「えらぶ」は、機械では出せない味わいを感じることができるのだ。
こんなお値打ち価格で販売されている奄美黒糖焼酎は他には無いのではないかと思う。
イノウエは、焼酎の瓶詰会社については、奄美諸島の2つしか知らないが、滅多に無い、共同瓶詰会社のブレンド酒だということで、お値打ち品であることは間違いない。
奄美黒糖焼酎「えらぶ」は、飲んだことが無い人がほとんどだと思うので、ぜひとも購入して味わっていただきたい、逸品である。
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沖永良部島という小さな島で70年以上も歴史のある奄美黒糖焼酎の蔵元に感動

ここまで、竿田酒造について、記載させていただいた。
竿田酒造の石原純子さんは、小さいころから、沖永良部島の飲酒文化を見てきた貴重な人である。
沖永良部島では、沖永良部酒造という、共同瓶詰会社を設立することにより、地域の産業である、奄美黒糖焼酎の蔵元を守ってきたという歴史がある。
しかし、歴史を紐解いてみると、共同瓶詰会社になる以前は、地域密着型の、飲酒と酒造の歴史があり、沖永良部島での、黒糖焼酎の製造の歴史は、100年以上の歴史がある。
黒糖焼酎ではなく、黒糖酒の歴史という意味では、その起源は定かではないものの、江戸時代にさかのぼると言及されている。
沖永良部島では、少なくともアメリカ統治下でも泡盛という飲酒の文化が根付いており、竿田酒造の創業は、そうした、アメリカ統治下のもとで、始まったのである。
イノウエは、沖永良部島での、そうした、飲酒文化に深く感銘を覚えるとともに、飲酒文化を愛してやまないイノウエも、その文化を守りたいと、切に願った。
飲酒というのは、最近では、コロナの前では、忘年会や新年会など、日本に普通にあった、文化そのものではないか。
なぜこのような、飲酒文化が日本であったのかということを、考えてみてほしい。
それは、人が生きていくために、または、文化的な生活をしていくためには、人との交流が必要不可欠なのに対して、飲酒という文化が、人との交流の潤滑剤となり得るからだ。
イノウエは、鍋をつつきながら、「えらぶ」を楽しんでいた。
イノウエは思った。
「やっぱり「えらぶ」は万能な食中酒として最高だ!」
今回の記事は以上になります。
ここまで読み進めていただき、ありがとうございました。