奄美諸島の喜界島の魅力について

  • 12月 2, 2022
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  • 知識編
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喜界島ってご存知の方はどのくらいいますか?

これをお読みの読者様は、喜界島という島について、どのくらいの認識があるのだろうか?

喜界島は、奄美群島の北東に位置する島になるのであるが、奄美諸島の名前は聞いたことはあるものの、正確な位置を把握している人は、ひょっとすると少ないのではないか。

実は筆者も何を隠そう、喜界島について、島のことを本当に知ったのは、ここ2~3年くらいのことだと思う。

というのも、筆者の場合、黒糖焼酎を25年くらい飲み続けているのだが、奄美諸島が、鹿児島県の一部であることを知ったのが、ここ5年くらい前のことだったように思う。

筆者が黒糖焼酎をインターネットで発注すると、鹿児島県の住所から送られて来ていたのであるが、筆者は、奄美群島→鹿児島県本土→筆者の自宅、というような、商品の運送ルートを、勝手に想像してしまっていたのである。

長年、黒糖焼酎を愛し続けていた筆者も、奄美群島の所在地が、鹿児島県だと気づいたとき、これまでの恥ずかしい誤認識について、奄美群島の人々に対し、心から申し訳なく思ったものである。

ここでは、これをお読みの読者様が、奄美群島のことを認識しているか、そうでないかに関わらず、奄美諸島のことを、できるだけわかりやすく、解説していきたいと思う。

当然ではあるが、今回のこの記事は、新しい発見があるたびに、更新されていき、どんどんとボリュームアップを図っていこうと思っている。

もしこれをお読みの読者様の中で、ちょうど、奄美諸島に興味が出始めた方がおられたとしたら、DMなどでも良いので、知りたい情報などがあれば、是非ともお問い合わせをいただきたいものである。

奄美諸島にある島々について、簡単に解説

喜界島に関する情報を発信する前に、奄美諸島について、簡単に触れておこうと思う。

奄美諸島とは、奄美大島から加計呂麻島、与路島、請島、喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島までの8つの有人島を指す。

ここで、この8つのうち、黒糖焼酎を製造している蔵元があるのは、以下の5つの島に限定される。

・奄美大島

・喜界島

・徳之島

・沖永良部島

・与論島

今回は、大変申し訳ないと思うが、加計呂麻島(かけろまじま)、請島(うけじま)、与路島(よろじま)については、黒糖焼酎のテーマから外れてしまうので、この記事では省略させていただくことにする。

この地域のことをこれまで気にしてこなかった人々にとって、これらの島の特徴と言われても、ピンとこない人がほとんどではないかと思う。

奄美諸島の島々の特徴の違いを語るには、書面がいくつあっても足りないくらいに、それぞれの島には、個性的な特徴というのがある。

ここでは、これまでの筆者が得てきた情報をもとに、現時点で筆者が抱いている印象について、超絶簡単に各島の特徴について、記載してみようと思う。

「奄美大島」

奄美諸島で最も大きな島で、奄美諸島の中では最も人口が多く、施設が充実している。

島の人々の特徴は、お祭りと音楽とお酒が好きで、温和な人々の、地域の交流密度が高いことが特徴。

奄美大島の人々は、芸達者な人も多く、音楽家、お笑い芸人など、文化人的な風潮も盛んである。

「喜界島」

基本的に、温和でどちらかというと、大人しい人が多いのが特徴。

サンゴ礁が隆起し続けていることがわかる特徴もあり、スキューバーダイビングの知られざる秘境であることや、蝶がとにかく多いこと、白ゴマの生産量が日本一であること、どんなときもWIFIが便利なことの特徴がある。

「徳之島」

日本屈指の闘牛の島で、そのことから積極的な人が多いのが特徴。

子宝で長寿の島というのが特徴であるが、体に優しい味の食事と、黒糖焼酎をこよなく愛す島人。

多様な生物が生息し、恵まれた自然の見どころがたくさんの島。

「沖永良部島」

秘境の楽園と言われるほどの、人類がほとんど、訪れたことが無いような、美しい自然がたくさんある島。

さらに、地下の洞窟には、広くて美しい洞窟があり、ケイビングなどのスポーツが楽しめる。

そして、知られざる、美食の島。

伊勢海老もここで堪能することができ、島内のどの飲食店も、レベルが高い食事が楽しめる。

「与論島」

与論島の自然で最大の特徴は、白い砂浜と、鹿児島県一といわれる、エメラルドグリーンの美しい海。

奄美諸島の最南端の与論島は、沖縄の文化が最初に入ることもあり、沖縄の味付けなどの食事などが特徴。

この小さな島で、昔の住居、神社、鍾乳洞など、いろいろな文化を凝縮して一度に楽しめる特徴がある。

このように、奄美諸島のそれぞれの島の特徴は、島ごとに随分と違う、独特の文化を形成しており、それがゆえに、それぞれの島を訪れることの意味があることだと思う。

次の章からは、ここでの記事である、喜界島について、さらに深堀りしていこうと思う。

喜界島での人々の暮らしについて

喜界島に住んでいるほとんどの人は、一度は島を出た経験を必ずといっていいほど持っている。

例えば、「朝日酒造」の喜禎代表も、東京で大学生活を送り、再び喜界島に戻った、いわば、Uターン組の一人ということになる。

ちなみに喜禎代表の場合、中学、高校も鹿児島県本土で過ごしたのだということなので、学生時代の半分以上は、喜界島ではなく、本土で学生生活を送っていたとのことである。

喜界島の高校生は、卒業すると、ほとんどの人が島外に出るという選択をとるのが一般的な流れなのだという。

島を出た若者は、島外において、つまり本土を中心として、就職、または大学への進学ということを考えていくのが一般的なのだそう。

その場合、とくに最近では、就職先、進学先を考える学生の中には、東京や大阪だけではなく、様々な地域に散らばって、住む場所を変えて行く人も多いのだという。

喜界島の暮らしとは、どのようなものなのであるのか?

さらに、喜界島の人は、本土の鹿児島県からフェリーで11時間もかかる離島暮らしに、不自由を感じないのだろうか?

喜界島には、2022年現在においても、コンビニがない。

しかし、喜界島には、役所、スーパー、銀行、ATMなど、都会慣れした人でも、普通に生活ができる環境がある。

そして、喜界島には、なんといってもネットが普通に繋がるという環境があり、さらに、「どんなときもWIFI」という、とても便利なWIFI環境があるのだ。

喜界島において、ネットで買い物をする際に、楽天を使うには、上乗せ送料がかかってしまう。

しかしここ喜界島で、ネットで買い物をする際にすごいのが、アマゾンプライムやメルカリが普通に使えるということだ。

つまり、ネットで生活することが、当たり前の若者が、ネットで買い物に困るということが、ここ喜界島ではないのである。

さらに、テレビも普通に見れてしまうという環境。

ここまで来ると、喜界島という島で生活をするということは、東京や大阪で暮らすといった環境と、ほとんど変わらない環境で暮らしていくことができるということになる。

だから、喜界島を出て、東京や大阪で生活していた、元、喜界島の人でも、島に戻りたいと思ったときは、生活スタイルをそのまま変更しなくても、喜界島で暮らしていくことが出来てしまう。

この、喜界島での生活スタイルについて、本土で認知されている割合というのは、とても少ないのではないだろうか?

では、喜界島の人々は、どのような特徴を持った人々が暮らしているのであろうか?

喜界島の人々は、基本的には大人しく、温厚な人が多いのだそう。

この、温厚で優しい人が多いというのは、裏を返せば、もの足りないと思われることもあるようだ。

しかし、基本的に、喜界島の人は、のんびりと、おっとりとしていて、これほど、接しやすい人達ばかりがいる集団というのも、珍しいのではないか。

例えば、こんなエピソードもある。

とある旅行者が、島内の移動手段で困ったときに、島内の人に相談したところ、親切にも車を貸してくれるという人がいた。

なんでも、移動先に、車を貸してくれた人の拠点があったのだという。

「車を置いておいていいから、車にキーを付けたままでエンジンを切って、ロックをしないで置いていて。」

といわれてそのとおりにした。

考えて見れば、島の中で何かが起きても、島を出られないから、盗難など起こりうるはずがないといったことを証明するかのようなエピソードだ。

とにかく、喜界島の人々は、温厚な人たちで形成されているというのが特徴の島である。

喜界島には、2022年現在において、約6700人の人々が住んでいる。

どちらかというと、過疎化が進んでいるという話もあるが、極端に人が少なくなっているという印象はなさそうだ。

東京や大阪で暮らしている元の島民が、島に戻って来るというのは、やはり、島に魅力を感じているからであろう。

喜界島には、暖かい人々と、豊かで美しい自然がある。

この島が、将来的に、新しいハワイとなる日もそう遠くないのではないだろうか。

喜界島の病院事情について

他府県などに引っ越す際に、重要になってくるのが、病院事情であろう。

正直、喜界島には、病院事情が充実しているとは言い難いようだ。

「喜界島」「病院」で検索すると、5件の病院がヒットする。

喜界島の病院を分類すると、以下のようになる。

喜界島徳洲会病院  内科、神経内科

歯科 3件うち、2件は矯正歯科も兼ねている。

診療所  1件

喜界島には、眼科、外科といった病院がない。

手術を伴う急患の場合、ヘリコプターで、隣の奄美大島まで飛んで、患者を運ぶこともあるらしい。

このあたりが、島生活の不便なところであろう。

どうしても、病院事情が充実したところといえば、都会になってしまう。

ただ、のんびりした島暮らしに、都会のような病院が必要なのかといえば、そうではないとの考え方もある。

眼科や外科に通うためには、船で11時間かけて、本土の鹿児島県の病院に行くという方法もある。

しかし、健康に不安を抱えた人などが、総合病院が無いと生きていけないという人は、島での生活を考えたほうがいいのかもしれない。

喜界島で味わえる料理について

喜界島では、どのような料理を食べることができるのであろうか?

そもそも、喜界島で好まれる味付けはどのようなものなのであろうか?

ここ喜界島では、鹿児島県からの輸送によって物が供給されたりするため、鹿児島県本土の味付けが、そのまま島の味付けになっていったようだ。

例えば、醤油については、鹿児島県で使用されている、甘醤油(あまじょうゆ)が味付けの基本となる。

島では、四方八方が海に囲まれてはいるものの、魚ばかりが食卓に並ぶということでは無く、普通に、豚肉や鶏肉なんかも、島の人は普通に食材として使用しているようだ。

喜界島産で有名な食材に、えびがある。

喜界島産のえびは、美味しいと、東京の一流料亭や鮨屋などで、扱われていることもあるそうだ。

また、喜界島では、白ゴマの生産量が日本一という、誇らしい名産品がある。

当たり前ではあるが、生産地で獲れる新鮮な食材というものは、生産地で消費するのが、一番美味しく消費できる方法である。

また、奄美諸島では、昔からヤギを食すという文化があり、特に、喜界島産のヤギは、奄美諸島の中でも、クセが少なく、絶品だということだ。

ヤギを食すにも、個人的な好みがあるようで、必ずしも喜界島の人達全員がヤギを食べるといったことでは無いようだ。

しかし、牛肉、豚肉、鶏肉といった、メジャーな肉以外の肉を食べるといった機会はそうそうあるものではない。

九州では馬刺しはメジャーではあるが、ヤギを食べるとなると、おそらく、奄美諸島にでも行かない限り、食べられる機会というのはそうそう無いであろう。

喜界島では、自然以外にも、食の魅力があり、また、黒糖焼酎といった、酒の魅力もある。

喜界島には、まだまだ知られていない魅力がたくさんありそうだ。

喜界島の歴史について

ここでは、喜界島の歴史について、少しだけ触れておこうと思う。

というのも、その地域の歴史というのは、その土地の人柄などを形成するのに、重要な要素であることが考えられるからである。

喜界島は、奄美群島の中でも、奄美大島に肩を並べて、最北端に位置する島である。

奄美大島の方が、若干、北部に飛び出ている部分はあるものの、島全体の位置関係からすると、奄美群島の北東に位置する島が、喜界島ということになる。

鹿児島から見ると、南に380kmに位置するのが喜界島になるのであるが、「朝日酒造株式会社」及び「喜界島酒造株式会社」は、奄美群島の中でも、最北端に肩を並べて位置する蔵元である。

ここ喜界島は、もともとは、サンゴ礁が隆起してできた島で、現在でも隆起が続いており、島の面積が、年々増加しているという、地理的に、面白い成り行きの特徴を持った島である。

この喜界島を含む、奄美諸島の歴史を見てみると、その立地条件から、日本本土と琉球王国(かつての沖縄)の間にあるため、たびたび戦場になるという宿命を背負ってきた。

国同士の争いごとになると、真っ先に戦場になるのが、奄美諸島だったのである。

例えば、平安時代後期には、琉球王国が奄美大島を攻略し、喜界島に対して、1450年~1462年まで、毎年兵士を送り込み、琉球王国に陥落されるまで、喜界島は戦場となってきた。

江戸時代に入ると、島津藩の兵士により、奄美諸島は琉球王国から、島津藩に実行支配され、島津藩の直下に治められた。

さらに、第二次世界大戦後の1945年~1953年まで奄美諸島は、アメリカの占領下に置かれ、1953年にようやく、日本に復帰された。

奄美諸島の歴史は、常にどこかの占領下に置かれるなどの運命にさらされるという、過酷な歴史を辿ってきたのである。

それ故、この地域の人々は、本土の人々に比べて、団結力が強く、内に秘めたる強さというようなものを感じる。

実は、奄美諸島の島々は、それぞれの島で全く異なる性質を持った特徴というものがある。

その中でも、喜界島はとりわけ、大人しくとも、温厚で親切な人が多いのだという。

イノウエの経験によると、人の温厚さには、自然など、環境の影響も大いにあるという見方もある。

そして、温厚な人が多い場所は、決まって、魅力的な自然に恵まれていることが多いのも特徴の一つである。

だから、このような話を聞いた読者様の中には、ますます、喜界島の環境に身を置いてみる経験をしたいと思うのではないだろうか?

黒糖焼酎は喜界島のソウルフードである

喜界島の「朝日酒造」から始まった、黒糖焼酎。

今では、奄美諸島のソウルフードとなっている。

イノウエが大学生だったころに、奄美大島の牧師様が、イノウエに初めて、黒糖焼酎の存在について、教えていただいた。

その黒糖焼酎も、イノウエにとっては、生活の一部になり、今では、お酒を飲んだ〆には、必ず黒糖焼酎で閉めないと、眠れないほどになってしまった。

日本では、沖縄県がリゾート地として有名な島であることを筆頭に、日本人のみならず、世界中には、島好きの人間はたくさんいる。

イノウエはそういった、島好きの人々に是非とも教えたいことがある。

それは、奄美諸島こそが、新しく、これまで未開だった、超穴場のリゾートアイランドである。

さあ、新しい島を探している諸君!

行動するなら早い方が絶対によい。

2021年7月に、「世界自然遺産」に登録されることになった、奄美諸島は、今日本で最も熱い、大注目の新しいリゾート地なのだ!!

(完)※ここまでご愛読いただき、ありがとうございました。

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